ここではないどこかへ行きたい。
10代のわたしは、その言葉ばかりを頭で反芻していた。

幼い頃からわたしは本が好きで、本を読む度にいろんな世界を巡ってきた。難解な事件を見事に解決するかっこいい名探偵、余命を宣告されつつも必死に生きる女の子。いろんな人生を覗いて、いろんな感情を本から得てきた。

一方で現実はというと、同級生はアイドルや俳優の話ばかりで、1つも面白いと思えないし、ついていけない。しまいには「本ばかり読んで真面目なやつだ」とレッテルをはられて、だんだんと疎遠に。
本の世界と比べて、現実は悲劇も喜劇もない。とてもつまらない世界だと私も決めつけてしまっていた。
大学に入っても、私と周りの人の目に見えない“溝”はうまらなかった。教授の講義は本の世界以上に面白く、熱心に通う私と、いかに楽に単位を稼いでサークルで遊ぶかを考えている同級生。アルコールを浴びるよりかは、言葉の世界に少しでも浸っていたかった。

「ここではないどこか」を探してもいいのかも。生まれた焦燥感

転機が起きたのは、大学2年生のときだった。

自分の気持ちに変化が生じたのだ。それは、焦燥感というか、孤独感というか。とにかく漠然と「このままでいいのか?」という疑問を抱いたのだ。
なぜ、そのようなものを抱いたのかはわからない。Instagramで友人が仲良さそうに大学生活を送っている投稿をみたせいか、それとも自分の将来を考えたときか、大きなきっかけはわからない。

だけど、わたしが知ってる世界は、広いようで広くないのかもしれない。もっと足を使って、“ここではないどこか”を探してもいいのかもしれない。

そう思い立つと、行動は早い。大学生の長い夏休み、ガラガラの予定を見ながら飛行機とホテルを予約した。

そして1ヶ月後――。
右手に固く握りしめたチケットはカンボジア・プノンペン行きだった。

海外へは高校の修学旅行で行ったことあるが、自分でチケットを取り、ホテルを予約して旅立つのは初めてだった。空港のゲートを通るだけで、飛行機の自分の席に座るだけで、ジワッと手に汗が吹き出てきた。

そんな緊張を握りしめていたが、空港を出た瞬間湿気を含んだ風に包まれ、一気に開放感を感じた。

旅の目的地であるキリングフィールド。少し背筋が伸びた

トゥクトゥクに乗って町まで出る。道路は舗装されていないから、口や目に砂が入る。キャリーケースも思ったように運べなくて、ホテルまでが一苦労だ。
クルマやバイクで渋滞し、騒音がひどくても、どれだけ口や目に砂が入ろうとも、不快にはならなかった。
言葉も文化、何もかも日本からかけ離れている。それでも、そんな空間に自分がいていいんだと思えたのがカンボジアについて初めて抱いた感情だった。

荷物をホテルに預けたら、旅の目的であるキリングフィールドへ向かった。
約40年前、ポル・ポトを指導者とする急進的な共産主義政権が生まれた。メガネをかけているだけで共産主義の敵だとみなされ殺害された時代がカンボジアにはある。高校の世界史の授業で勉強したときは、「第二次世界大戦からだいぶ時間が経っているのに、こんなひどいことが起こるのか」とあまりのひどさに少し涙した。

今回の旅に、カンボジアという地を選んだのもキリングフィールドにいってみたいという目的があったからだ。悲惨な歴史をもつカンボジアは今、どのような人たちが住んでいて、どんな文化を育んでいるのか。それを肌身にもって知りたかった。

訪れたキリングフィールドは思った以上にただのパークだった。しかし、慰霊塔には多くの人骨があり、確かにこの地で命をなくした人がいたんだと感じた。
日本語の音声案内をたよりに、キリングフィールドのどこで何があったかを知っていく。高校のときのように、涙は流さなかったけど、失った命を思い、今ここに自分の命があることを知った。そして、少し背筋が伸びた。

言葉や文化が違っても。どこで生きていくかは、わたしが決めていい

キリングフィールドから町に帰る。活気がある町につくと、殺伐としたキリングフィールドとのギャップで少し気持ちが揺らいだ。

だけど、過ごしていくうちに気持ちの揺らぎもなくなった。ここにいる人たちも生きていかなくてはいけないということに気づいたからだ。
どんな悲惨な歴史を持っていても、今日はお金を稼ぎ、ガヤガヤしながら食を囲み、愛しい人の顔を見ながら寝る。それはどんな歴史を抱えていても、どんな文化をもっていても変わらないのだ。

どこにいても変わらないと感じる一方で、どこでも生きていいんだという安心感をカンボジアが与えてくれた。

カンボジアで数日過ごしてみて、言葉や文化が違うくてもしっかり生きていけることを知った。日本でなくてもいいと思えた。それは、“ここ”にとらわれていた自分を大きく開放するものだった。

だから、わたしは、ときどき旅にでる。
それは、“ここではないどこか”がちゃんと存在していること、“ここで頑張ること”を再確認するために。

わたしがどこで生きていくかは、わたしが決めていい。
その自由を獲得するために、旅にでる。