私は中性的なものに惹かれる。ボーイッシュなショートカットの女の子や、物腰が柔らかくて優しいしゃべり方をする男の子。恋愛対象は男性であるし、男性になりたいと思ったことは一度もないが、ユニセックスな服を好んで着る。

世の中の人は大概、「誰々に似ている」「黒か白か」などと分類したがる傾向にあると思う。しかし、そもそもその分類先は誰かの固定概念から生まれているのではないだろうか。本来は、単純に好みやファッションとして受け入れられてもいいもののはずなのだ。

飲み会で覚えた違和感。女子がお酒をつぎ、注文を取りまとめ…

大学のとき、入ったサークルは男女比で男性がやや多めだった。
1年生の私に、4年生や院生の先輩はかなり大人に映ってみえたが、飲み会などの席で違和感を覚えるまでそう時間はかからなかった。

女子がお酒をつぐもの、注文をまとめて用紙に書き店員に渡すもの、酒が強すぎる女子は女として見られないこと、そんな調子ですごく居心地が悪くなったことがある。もちろん、そういう人ばかりではなかったが大抵はそうだった。

大学生で彼氏が欲しかった私だが、自分には女性らしさを要求してくる男の人は合わないなと感じた。

そんな中、好きだった音楽で話が合う先輩がいて、その人のことだけは気になっていった。
周囲の先輩達にも気づかれて「今度あいつも呼んで宅飲みするから、おいでよ~」などと仲を取り持とうとしてくれる人もいた。
高校時代まで気になる男の子がいてもろくに話しかけもできなかった奥手な私だが、学生時代最後の今頑張らなくていつ頑張る!と積極的になっていたのだ。

その人は音楽が合う以外にも、優しいしゃべり方をする人で、誰に対しても謙虚な人だった、と当初は思っていた。

宅飲み当日、男女数人で集まり鍋をすることになり、皆で用意しているときのことだった。その彼は「野菜切ったりは女の仕事でしょ」「こんなこともできないの?」というニュアンスのことをいくつか言ってきた。
「この人もこういうことを言う男の人なんだ……」と残念に思った。それでなんとなく気持ちが離れ、彼とうまくいくことはなかった。

他人と接するとき、自分の中の小さな違和感を放っておくのはあまり良くないと思っている。なぜなら少しの違和感でも、積もり積もれば巨大な穴になり、気づいたときには取り返しのつかない溝になっているからである。
恋愛経験は少ないが、友人関係ではこういったことで離れた友人がいた。

世の中の声を意識しなくても、自分の魅力は十分にある

こうして自己完結してしまった恋だが、その後に出逢って付き合うことになった彼は、私と価値観が似ている人だった。
男が、女がというくくり方をせずに、その人らしさと向き合おうとしていた。世の中のルールを斜めにみるというか、人が「こうあるべき」という押し付けを嫌うタイプであった。
長年付き合って結婚したが、やっぱり価値観が合うなと思うことは、長く生活を共にする相手として心強いものがある。

あのとき、違和感をごまかしていたら、気になっていた彼と付き合えていたかもしれない。でも、人にこうあるべきと求める人と一緒にいて、私は幸せだっただろうか?

もしかしたら、自分の価値観を伝えて話し合いをしたり、一緒に過ごすうちに彼も私も変わっていったかもしれない。良くも悪くも。
ただ私は、相手のことが好きということももちろんだけど、相手といるときの自分が好きか?ということを重要視しているので、結果的には良かったと思える。

恋をしている女の子たちへ。
あまり世の中のモテや男性のこうあるべきという声を意識しすぎなくても、自分の魅力は十分あると思う。
「女子はこうあれ」「妻は、母は」という意見を「そこになんの意味があるのか?誰がどういう理由で言ってるのか?」と一旦考えてみるといいと思う。考えると、とても一方的で主観的な考え方だと分かるから……。
逆にこう言っている自分も、男性や子供、お年寄りなどに押し付けるような意見を言わないように心がけたい。