ある日、出社した私に50代の男性社員はこう言った。「毎朝、旦那さんの夕飯、用意してくるの?」と。私はこの言葉に思わず絶句してしまった。
そのときはちょうど仕事の繁忙期。職場では希望者に夜食として弁当が配られ、この時期は会社で夕飯を済ませてしまうことがあった。そんな私に、50代男性は他愛もない会話として、こう問いかけたのだった。
私は「いや、自分で用意してもらっています」と素っ気なく答えたが、本当はこう返したかった。「あなたは女性が食事を用意するものだと思っているのですか」と。

夕飯の支度は女の仕事?上司の発言への違和感

他の男性上司は「今の男は偉いよな。自分で食事を作って。俺らの時代は考えられないよ」と言っていた。また、ある女性は「旦那さんは家事とか手伝ってくれるの?」と聞いてきた。偉い……?手伝う……?
本当に些細なことだが、この言葉の使い方に私は正直違和感を抱いてしまった。私の感覚からしたら、家事は夫婦で「一緒に行う」ものだ。私は声を大にして「夕飯の支度は女の仕事って誰が決めたんだ!?」と言いたいが、ひと昔前は結婚を機にほとんどの女性が仕事を辞め、家事は女性が行うことが多かったのだから仕方ないことなのかもしれない。
結婚して、今までは気づかなかった自分とは異なる価値観を持つ人たちとの大きなズレがあることに気づき、衝撃的だった。そして、本当に些細な言葉で傷ついたりストレスを感じたりしまうほど、敏感な自分に驚いた。

見過ごしてはいけない問題?アンコンシャス・バイアスって?

このように「食事の支度は女性の仕事」と自分では気づかずに決めつけてしまっているものの考え方を“アンコンシャス・バイアス”と言うらしい。「よくあること」と見過ごされてしまいがちだが、放置されると後々従業員のモチベーション低下やセクハラなどに繋がってしまう可能性があるということで、最近社会でもしばしば取り上げられているようだ。
私の経験はまさにこの事例だ。正直なところ、私は現在の職場での労働意欲を失いかけている。「旦那さんが家事をやってくれるなら、仕事をたくさん振っても大丈夫だね」と思われているような気がしてならない。そういったこと気にしながら働くのも、気を使って疲れる。
「旦那さんの食事、用意してくるの?」と発言した本人にとっては単なる雑談であったと思うが、言われた方にとっては大ダメージであり、このまま見過ごしてはいけない問題だと感じている。

自分が生きやすい環境は自分で切り開いていかなきゃ

では、私がこの問題に対してどう立ち向かえるだろうか?「うちの旦那は皿洗いしてくれるので、あなたもやった方がいいですよ」と年配の男性社員に説教じみたことを言うつもりはない。各家庭、いろいろな形があっていいと思うし、私が口出す権利もない。
ただ、自分自身の中に、偏った考え方やものの見方を無意識にしている部分があるということに気付いてほしい。その「無意識」によって、些細な一言で他人を傷つける恐れがあることを理解してもらいたい。
そのために、私はどうしたらいいのだろう?この答えはまだでていない。私にできることは実体験をもとに、自分の考えを主張していくこと。そして、周りの理解を得ること。そうすれば今後“アンコンシャス・バイアス”に基づく発言がなくなることに繋がるかもしれないし、自分自身が生きやすい環境をつくっていけるのかな、と思っている。
自分が生きやすい環境は自分で切り開いていかなきゃ。もっと強くなりたい、と切実に最近思うのだ。私も自分の発言には十分気を付けていきたいと感じる、今日この頃である。