夜行バスで東京へ。他人からどう見られているか、気にしなかった
18歳。
高校を卒業して、私はヒッチハイクで旅に出た。
受験期は勉強を投げて彼氏と遊ぶ生活を優先していて、目指していた大学の勉強よりも性行為に依存していた私は途中で放棄して諦めた。
もちろん大学に受かるわけもなく、働き先もない私は、高校の教師で在学中から付き合っていた彼氏から、数万円お金を借りて夜行バスで東京へ向かった。
田舎に住んでいると、何者にもなれないかのような虚しさが突然襲いかかってくる。
取り敢えず、青森から離れたかった。
本気で出ていこうと思った決め手は、低血糖を起こし、昏睡して全く動けず病院で点滴を受けるほど衰弱したこと。
2〜3日寝込んで体力が戻った私は、このままでは死んでしまうと思い、すぐ家を離れる準備をした。
親に黙って、彼氏が契約した携帯と着替えだけ持って飛び出した。
そして、夜行バスの中で浅い眠りについた。
朝の7時。
東京に着いた私は、知人も友だちもいない。
親の連絡も絶っていて、頼れるのは遠距離の彼氏だけだった。
「今はここで一人で生きて行かなきゃ」
その為にはまず住む場所のことを考えた。
しかし物価の高い東京の家賃含め敷金と礼金は、とても大きい額で流石に彼氏にも頼れなかった。
道端でブツブツと独り言しながらしばらく悩む。
側から見れば変な人だっただろうけど、ずっと箱入り娘だった私は他人からどう見られているかなんてあまり気にしたことがなかった。
そうやっていつも通りに考えていたらすぐひらめいた。
「そうだ、青森よりはずっと都会で、東京よりは田舎の場所を探せばいいんだ」
取り敢えず田舎から抜け出せればいい。
東京に固執する必要はないから、別の拠点を見つけることにした。
無事に最初の目的地に到着。でも急に、大阪で1人で降りるのが不安に
なるべく節約したい私は、ネカフェでヒッチハイクのやり方を下調べし、延長料金を取られないように早起きをし、すぐ車を捕まえるため地図で高速道路に繋がりそうな大通りを探す。
そしてスケッチブックで大きく大阪方面と書いて、それを腕いっぱいに伸ばして掲げた。
楽天的に見えるが、決して気持ちはプラスに向いているわけではなく、自暴自棄なだけだ。
取り敢えず今は死ななきゃいいやと思っていた。
そして、何台か乗り着いでお礼を言ってを繰り返していくうちに、用賀インターで長距離トラックを捕まえた。
運がいいことに丁度大阪に行くらしく、私は大阪まで乗せてもらうことにした。
背が低く中学生に間違えられることもあるため、私は最初ドライバーに家出かと疑われたが、とりたてほやほやの運転免許証を見せると一応高校は卒業していることに納得してくれた。
乗せている道中に私はこの人と色んな話をしてだいぶ打ち解けて、ガソリンスタンドのシャワーが無料なのを教えてもらいそこで着替えも済ませ、ご飯もご馳走してもらった。
トラックの助手席の裏には眠れる簡易的なベッドがあり、車の中なのに衣食住にも全く困らなかった。
ドライバーが仕事中に目の前で大事故が起き、その運転手の右腕が切断されていたという話を聞いた時はとにかく身震いした。
ずっと自暴自棄だった私は、今更ヒッチハイクなんて無謀なことをした自分が少し怖くなった。
間に仕事があるからと大阪に到着するまでは2日ほどかかったが、無事に最初の目的地に到着することができた。
お礼を言い、降りる準備もしたものの、急に1人で大阪へ降りるのが不安になり始める。
仲良くなったドライバーとも離れるのが寂しかった。
「やっぱり、もう少し乗せてもらっていいですか?」
ドライバーは少し戸惑ったような顔を見せたが、その時にはすっかり友だちのように打ち解けていて、向こうも寂しかったのか、いいよと答えてくれた。
男の部屋に1週間居候。冷凍庫のご飯をチンして食べて過ごすと
そうやって車中で過ごすうちに、私はその男が好きになった。
好意が発展しドライバーと体の関係を持ち、仲も深まりつつ旅を続けていた。
数日経ち、男は一度実家に帰るらしく徳島県に寄ることになった。
明石海峡大橋、大鳴門橋を渡り到着した男の故郷、徳島は長閑で自然豊かな場所。
気候は違えど、雰囲気が青森に似ている。
田舎なのだ。
男は今度は北海道に行くらしく、青森へ逆戻りになる為、私は一人暮らしの男の部屋に1週間居候をさせてもらった。
体の関係がある以上、青森の彼氏に対しては浮気のようにも感じたが、お金を借りて、まだ返すあてもなかったため、別れたいとは言えずにいた。
家の冷凍庫にあるご飯をチンして食べて1週間過ごす間、やはり田舎特有の虚無感が襲いかかってきた。
急にフッと、涙が止まらなくなる瞬間がなんども押し寄せてきて、男に何度も電話をかけてなだめてもらった。
男が帰ってきて、私はまた乗せて欲しいとお願いしトラックに乗って旅を再開することに。
次の行先は九州だった。
理想の福岡から、東京へ。孤独を感じる東京が過ごしやすかった
徳島から出てそのままずっと高速で揺らされ、私は今度は佐賀でおろしてもらった。
男とは短い付き合いだったけれどもここで今度こそ別れることにして、またあてのなくなった私は、SNSで泊めてくれる人がいないか募集をかけた。
そうやってSNSを使って私は別の男を作り、ただ今度はすぐ浮気され、また募集をかけ別の男に拾ってもらうが2〜3日で別れ、出会い系サイトでも探してみるけれどもなかなかいい人に捕まらない。
会う度に肉体関係が必須かのような付き合い方に、心が辛かったのでいい加減男に頼るのをやめようと仕事を探しに電車で福岡へ向かった。
とりあえずと向かった福岡は、私の目的地の理想だった。
天神は都会で、少し離れれば田舎もある。
飛行機が飛ぶため高層ビルがないが、大きい駅と百貨店、おしゃれなお店がたくさんある。
賃貸も好条件な上にとても安くて、敷金礼金0の家賃月3万円の賃貸を見つけ、そこからなんとか仕事も見つけて1年経ち、貯金ができた。
私は青森の彼氏に借りたお金と携帯の料金を送金し、別れたいとメールをした。
心がもうないということ、そもそも先生と生徒で付き合うのはおかしいと気づいたことを伝えた。
返ってきたメールは1週間以上続くメンヘラメールだった。
納得したような文面かと思ったら、急に怒り出したり、君がいないとダメだ死ぬと言ってきたり、脅迫的な発言をしてきたかと思えば開き直ったような明るい文面だったり。
それが長文で毎日何度も送られてくる。
私のしたことは屑だ。
それ以上に彼氏は屑だった。
浮気した私は悪いけれど、今思うと生徒に手を出し、そしてこんなメールを送る人が今も向こうで教師を続けているなんて信じられない。
先生は生徒を導く教育者ではなく、一人の人間でしかないのだと今までなんで気づかなかったのだろう。
私は青森でこの人とずっと付き合って、結婚しなくてよかったと再認識した。
失恋して取り乱すなんてことはあるけれども、この人は私への執着が酷すぎて、面と向かって別れ話をしたら刺されたかもしれない。
離れてから異常だったことにやっと気づいた。
携帯を急いで解約して、元カレに住所も教えていたから仕事もやめて引っ越しの準備をする。
福岡を出て、次は東京へ行くことにした。
福岡は楽しくて華やかで、男の人が積極的で女の人は美人ばかりで。
私は自然と福岡の方言も話せるようになっていたけれど、それでも何処か余所者であることに孤独を感じていた。
だったら、元彼の件を機に福岡を離れるのも良いだろう。
地方者が多く、どこかしら孤独を感じる東京の方が、私にはやっぱり過ごしやすかったんだと思う。
旅をしなければきっと知らなかった。
出会いは自分の人生を大きく変えるということ。
そして幸せな出会いもあれば、辛い出会いもある。
旅は、いい逃げ道だ。
青森から逃げて、徳島から逃げて、佐賀から逃げて、福岡から逃げて。
今は東京にいる。
ここに来て1年以上経ったが、やはり、東京は青森より福岡より私にとって過ごしやすかった。
今度は逃げないでここに居続けるのだろうか。
それとも、また逃げ出す日が来るのだろうか。
私の選択した道は後悔しない未来であると信じたい。
それでも、失敗することはある。
私に旅が必要な理由。
それは、生きることが辛くなった時、死ぬという方法以外での逃げ道になるからだ。