8人乗りの広々とした車の中に、運転手である男友達とわたしだけが取り残された。
わたしは一番後ろのシートに腰掛け、通知の来ないスマホをいじるのにも飽きてビュンビュン流れる景色をぼんやり眺める。あたりはとっぷりと暮れているが、オレンジ色の街灯の光があまりにも眩しい。つい先ほど駅前で降りた賑やかな3人がいなくなったことで余計に車内が広く感じてしまう。控えめなボリュームで流れるJ-POPは、心なしか気まずい空気を助長させ、彼との話題の模索に拍車をかけた。

この日は、大学時代のゼミ仲間の集まりだった。
社会人2年目になり、メンバーのひとりが彼女と同棲を始めたというので、引越し祝いをかねて新居でホームパーティをした。在学中から長く付き合っていたふたりは、そう感じさせないほど初々しく、幸せそのものだ。そんな光景を見るだけでもお腹いっぱいだというのに、夜の東京を悠々と運転する彼は、すでに妻子持ちだ。高校時代から付き合ってきた彼女と大学卒業後すぐに結婚し、子どもも生まれ、まさにとんとん拍子で人生を進めてきた。そもそも20代半ばでこんなに立派な車を持っていること自体が珍しい。さらにマイホームを建てる計画も立てているという。つい最近転職も経験した彼は、地球の裏側にそびえるキリスト像ほど遠く大きな存在に思えた。

現実逃避だけ上達した 痛みに気づかなければ傷ついたことにならない

「最近どうなの」。口火を切ったのは運転手の方だった。順風満帆という言葉を地で行く彼に、胸を張って話せることなど何もない。ましてや幸せいっぱいのカップルを目の当たりにした直後に話せだなんて。心のなかでぶーたれつつ、荒れた私生活にぼかしを施しながら伝える。
当時のわたしは我ながら残念な女だった。偏った尽くし方で共依存に陥った彼氏と散々な形で別れ、寂しさから始めたマッチングアプリで出会った素性不明な男と遊んでは後悔を繰り返す。
仕事そのものは好きだったが、上司の理不尽な言動に日々ストレスが溜まる一方だ。心身ともに苦しい状況にありながら、手近な恋愛ごっこに終止符を打つことも、上司への不満を誰かに相談することもできないまま、現実逃避だけが上達していった。とりあえず目を瞑り、歯を食いしばり、やり過ごす。痛みに気づかなければ、傷ついたことにならないのだ。

黙って話を聞いていた友人が、真っ直ぐ前を見ながらつぶやいた。
「りっかは、もっと自分を大切にした方がいいよ」。

ーー自分を大切にする。フレーズとしてはよく耳にするけれど、その意味を深く考えたことはなかった。
そうだよねー、なんて適当に相槌を打ちながらも彼の真意をよく理解できていない。程なくして情けなさと惨めさが押し寄せてくる。が、その感情を受け止める隙も与えず当たり障りのない話題にすり変え、目的地に到着すると礼を言ってそそくさと車を降りた。

わたしは自分を大切にしていないのだろうか。どうしたら自分を大切にできるのだろうか。その日から、彼の言葉が魚の小骨のように胸につかえて離れようとしない。
家でぼーっとスマホをいじっているとき、誰かと会っているとき、仕事をしているとき。ふとした瞬間に度々思い出され、次第に心の痛みを感じたときに自問自答することが増えていった。

すべてがゼロスタートだからこそ、できたこと

半年が経ったある日、会社から福岡支社の立ち上げメンバーを募集するとの発表があった。これだ、と直感で思った。かねがね、いつかは九州で田舎暮らしをしてみたいと考えていたのだ。お得意の現実逃避から生まれた願望だと思っていたが、もしかしたら実現しようと思えばできるのかもしれない。そう瞬時に感じた。
そこからの展開の早いこと早いこと。社会人3年目になっていたわたしは、入社後最上級の積極性を発揮して引き継ぎをこなし、気づけば福岡オフィスの真っ新なデスクに座っていた。

慣れない土地に赴任したばかりのごく少人数で新たな体制を整えていくのは決して楽ではないが、それまでとは比較にならないくらい楽しく仕事ができた。メンバー同士が立場や経歴に関係なく互いを尊重し合い、どんな些細なことでも共有し受け入れる空気感が短期間のうちに醸成されていたのがよかったのだと思う。すべてがゼロスタートだからこそできたことだ。

九州で手に入れた、自分らしくいられる幸せを噛み締める日々

福岡に来てから、沈みかけていた人生が徐々に上向いてきた。どんな感情にも蓋をせず、素直に従ってよいのだと気づいたのだ。そうして選んだ道がどれだけ凸凹だとしても、楽しみながら挑んでいける。無理だと思えば、また別の道を選べばよいだけのことだ。これがきっと、彼の言っていた「自分を大切にする」ということなのかもしれない。
実はこの文章は、九州南端の田舎で書いている。結婚できる気配はまだまだないけれど、自分らしくいられる幸せを噛み締める日々だ。5年前、大きな車の隅っこで縮こまっていたわたしに投げかけられた一言を、これからもお守りとして胸に携えていきたい。