帰国してから何回プレゼントを送っても届けられないものがある。でも、そこにどうしても届けたいもの。
2019年10月。海外旅行を通して英語の楽しさを知った私は、もっと話せるようになりたくて、オーストラリアのメルボルンに旅立った。
語学学校の友達が外出を楽しんだり、慣れない環境での生活の悩みを母国語で共有している中、私は英語を培うことに必死だった。少し大変だったけど、3ヶ月経つ頃には「英語を話せる」と自信を持って答えられるくらいになっていたし、飲食店でバイトも始められた。
寂寞とした世界で、私の住むあの部屋はいつもあざやかで温かかった
全てが順調で本当に楽しかった中、予想もしてなかった出会いから好きな人もできて、私の世界は夢みたいになった。私たちはとても上手く行っていた。その頃、本当の世界はこれまで見ぬ未曾有のできごとの始まりを経験していた。
当時は今よりもずっと人々はその変化に敏感で、瞬く間に街は閑散としていった。私はバイトがなくなって、語学学校の生徒も1人2人と去っていった。それでも、英語を日々学べることが幸せだった私にはすぐ帰国する選択肢はなく、好きな人がいる異国の地で少し浮かれた気分で「きっと大丈夫になる」と前向きだった。
繰り返される厳しいロックダウンと終わりの見えない異常な事態に人々は疲れていたけれど、私は半分学生、半分主婦を楽しんでいた。学生としては目標にしていた英語の試験にも合格して、英語が話せることで楽しめることも人と共有できる感情も広がったし、主婦としては、5つ星ホテルの料理長である彼が日本の味を楽しんでくれることを幸せに感じていた。お互い英語が母国語じゃなかったから、それぞれの言語を勉強したりもした。
秋冬の寒さも徐々に近づき、いっそう寂寞とした世界の中で、私の住むあの高層階の部屋はいつもあざやかで温かかったと思う。
メルボルンへ帰る理由を探すように、帰国後は契約社員として働く
帰国をしなければいけない日が刻一刻と近づいていった。貯金も減っていき、帰らざるを得なかった。そして、メルボルンに来て9ヶ月が過ぎた頃、語学学校にさよならも言えぬ中、見送られることも許されぬ中、大好きな地を旅立った。
「きっと大丈夫になる」と思いながら、夢のような世界に虚しげにありがとうを告げて。
世界が元に戻ったら一日でも早くメルボルンに行けるよう、帰国後は契約社員として働き始めた。普通の世界に帰ってきたのに帰る理由を探しているようだった。ギフトを送っても遅延や紛失が起きて、何もかも上手く行かず、世界の異常さを初めて知った。
当初の予定では3〜6ヶ月だろうと思っていた仕事も、気付けば1年以上続けている。贈り物は送れるようになったし、私たちもちょっも変わった新しい世界に慣れてきたから、普通を取り戻してるのかもしれない。
それでも私たちが幸せだと感じられたコト・モノは送ったりは出来なくて、世界が元気になるのをただただ待っている。
また会うときは、英語と日本語と彼が一番知る言葉でありがとうを
私がしたいことの1つは、1日でもいいからメルボルンに行って、また彼に手料理を振る舞うこと。向こうで手に入る食品とも相性が良い炊き込みご飯、それと、私のお料理リストにまだ残っているトンカツは絶対作りたい。
もう1つはまた会って、英語と私が一番伝えやすい日本語と彼が一番知ってる言葉でありがとうって言うこと。言語を学ぶ中で知った、その言葉にしかない奥ゆかしさとか、会話から生まれる温かさは箱には入れて送れない。
夢の中の静かな世界で伝えた涙まじりのありがとうと伝えたのは、その言葉には似合わなくてカッコ悪かった。だから、今度は大丈夫になった世界で笑顔で感謝の気持ちを伝えたいと思う。2022年は「きっと大丈夫になる」年だと信じて。