私が小説を読むようになったのは、約9年前、18歳の頃からだ。
それまでは少女漫画を好んで読んでいたけれど、当時短大生だった私は学校の図書館でさまざまな小説たちに出会った。視覚に直接入り込んでくる漫画とは違い、シンプルな文字だけが並ぶ小説は、とても質素で味気ないものだ。

私の心の中にずっと居座り続ける小説が、東野圭吾氏の『秘密』

それらを黙って読んでいると、何か他の余計なことを考えてしまうので私は声に出して読むようにしているのだが、本当に今まで色々な本に巡り合ってきた。どの本も私を楽しませてくれたし、独特の世界観に連れて行ってくれた。
現実の嫌なことを忘れさせてくれる素敵な作品ばかりだったのだが、その中でも私の心の中にずっと居座り続ける小説が一冊だけある。
東野圭吾氏の『秘密』(東野圭吾/文春文庫)だ。

「予感めいたものなど、何ひとつなかった。」という一文から話は始まる。主人公である平介の妻・直子と、小学五年生の娘・藻奈美を乗せたバスが転落し、直子が亡くなった。意識を失っていた藻奈美だったが、目覚めた彼女の身体に宿っていたのは、亡くなったはずの直子だった。
それからの彼らの日常を描いている小説なのだが、これがまた泣けるのだ。私自身、結婚して子どもがいる立場なので、とにかくいちいち感情移入してしまう。何度も涙で頬を濡らしながらページをめくっていく。

この作品に出会い、妻や親としての責任ある愛情にはっきりと気付いた

この本を読むまで私は、自分の立場や居場所を良く分かっていなかった。結婚するまで無責任に誰かと付き合い、ただただ自分の寂しさを埋めるためだけに日々生きていた。相手に依存し、何かを与えてもらうことを期待していた。
あの頃はそれなりに一生懸命だったけれど、もっとちゃんとした生き方ができたのではないかとも思う。

しかし結婚して子どもが産まれ、何よりも守るべき存在ができた。旦那や子どもに対してのそれはきっと依存などではなく、妻として、そして親としての責任ある愛情なのだ。
『秘密』という作品に出会ってから、そのことにはっきりと気付いた。与えてもらうことだけを望むのではなく、私からも何かを与える。それは感謝の言葉だったり、大好きの気持ちだったり、時には重くて苦しい負の感情だったりもする。そうして全身でぶつかっていき、相手からのそれも受け止める。それを繰り返してできた絆を、何よりも大切にしようと決めた。

究極の愛だなんて言葉で片づけるつもりはないが、家族を愛している

もしも、私か子ども、どちらかしか助からないという状況になったらどちらを選ぶのか考えてみた。
もちろんそんなことは現実に起こって欲しくないし、想像すると胸がぎゅっと締め付けられて苦しくなった。しかしたぶん、私は子どもに生きていてほしいと思うだろう。
私だって生きていたいし、残された方の気持ちを考えたらやりきれない気持ちになるけれど、それでもやっぱり子どもには生きていてほしい。これを究極の愛だなんてきれいごとで片づけるつもりはないが、私はそれくらい家族を愛している。この本を読んで、改めてそれを強く実感した。

ちなみに旦那にもこの本を読んでもらった。「自分のことのように切なくなる」と泣きそうになりながら読んでいた。私もこれを機にもう一度読み返してみようと思う。
最後に、自分のことよりも大切に思える存在がいるということは、私を大きく変えてくれた。
一度きりの人生で生涯を誓い合った最愛の人。そしてその人との間に産まれたかけがえのない小さないのち。『秘密』は、彼らを大切に想う私の心の中にこれからもきっと居座り続けるだろう。