フランスには憧れがあった私は、フランスに行く親友が羨ましかった
中学2年生が終わる頃、親友のお母さんが再婚した。相手はフランス人男性で、親友は急に一緒に住むことになって嫌だと愚痴をこぼしていた。
その頃、私のお母さんは精神科にかかっていて、気の浮き沈みが激しく、私も家が好きではなかったから、親友と遅くまでカフェで宿題をしたり喋って過ごすのが好きだった。
親友は唐突に、春休みに1週間、フランスに行くことになったと言った。当時、私は調理師になりたいと思っていて、フランスには憧れがあり、素直に羨ましいと伝えた。
でも、親友は行きたくなさそうだった。言語も通じないし、気まずいから再婚相手の家族と会話できる気がしない、とうつむいた。
だから、一つ提案をした。私とのツーショットを見せて「料理が好きな友達に料理本をプレゼントしたい」と簡単な英語で言って、一緒に買いに行って本場の本を頂戴よ、と。親友はそれなら大丈夫そうだと笑ってくれた。
家庭料理の本を読み、早速調理。フランスが近くに感じられた
中3の始業式の日、親友は本当に料理本をくれた。親友は、再婚相手のことを「あの人」とは呼ばなくなっていた。ちゃんと下の名前で呼んで、一緒に本を選びに行ったら可愛い文房具も買ってくれたのだと話してくれた。
私の母はその時も変わらず精神を病んでいて、私は初めて親友と距離を感じた。でも、純粋に嬉しいと思った。
『女の子のレシピ(Recettes de filles)』という本で、写真が大いに使用され、可愛い料理でいっぱいだった。ちょうどガラケーから買い替えてもらった初めてのiPhoneを何とか使いこなし、翻訳をしながら読み進めた。フランス料理にとっつきにくさを感じていたけれど、家庭料理の本ということもあり、それは早々に払拭された。
作って報告したら親友は新しいお父さんともっと話せるんじゃないかと思って、まずはオムレツを作った。フライパンにバターたっぷり、卵の上に具を散らしてピザみたいにして、縁が取れたらパタンパタンと折り畳んだ。
これだけなんだ、って思えて面白かった。どこの国だって家庭料理はきっとこんなもんなんだ。フランスを近くに感じた気がした。
1冊のレシピ本のメニューを1つずつ攻略。勉強のコツまで教わった
親友とは高校受験で離れても毎月会っていた。家に遊びに行くと、新しいお父さんも迎えてくれて、レシピを基に作ったキッシュやグラタンの写真を見せて、覚えた単語を披露したりした。日本語のレシピは探せばあっただろうけど、あえてわからないものに挑むのは楽しかった。
私はお母さんに向き合う覚悟を少しずつ持つようになっていた。お母さんには幻覚や幻聴の症状も出ていて、話を聞くのは辛かったし、私の声など意味がないように感じたけれど、使いこなせるようになったiPhoneで調べて学ぶこと、そしてクリニックに同伴することから始めた。
待合室で座っていると、ある看護師さんが「私も昔あなたみたいだった」と、こそっと教えてくれた。独りじゃないんだと思った。
薬の力もあり、お母さんは少しずつ安定してきて、高3になった私は、料理の道、語学の道、社会福祉の道の分岐点に立っていた。1冊の本のメニューを1つずつ攻略することは、私に勉強のコツまで教えてくれた。
私は、留学制度の充実した大学の社会学部福祉専攻を受験し、入学後は英語とフランス語の両圏内であるカナダに1年留学した。今、フランスメーカーと日本メーカーの間で営業をする社会人の私がいる。親友が東京から大阪へ帰ってきてくれる度に遊んでいて、この縁は一生大切にしたいと思う。
振り返ると節々にあの本がある。
新しい自分になるには、殻を破る意志が要るのだと教えてくれた、生き方のレシピ。“On ne fait pas d’omelette sans casser des œufs.(たまごを割らないとオムレツは作れない)”