従姉妹が婚約をした。わたしより3歳年上で、昔から憧れの存在だった彼女は、職場で出会った同期の男性とめでたくゴールインした。
お相手からプロポーズをされたと聞いた時は、嬉しくて仕方がなかった。まだ決まってすらいない結婚式の日に何を着ようか、アパレルブランドのサイトを眺めてしまうほどに。
「彼氏できた?」「美人なのに」。なぜ、恋愛しなくてはいけないの?
2022年1月1日。毎年祖父母の家で開かれる新年会の席で、わたしや他の親戚たちに挨拶をした彼は、優しくて良い人だった。隣あって座る彼と彼女は、とても幸せそうだった。きっと仲の良い夫婦になるのだろう。
さて、始まった酒の席。20代の前半をそろそろ終えようとするわたしにも、「彼氏できた?」「いい人いないの?」と当然のように恋愛や結婚の話が振られる。
今回の新年会は従姉妹の婚約の報告と、お相手との顔合わせがメインだったが故に、覚悟はしていた。でも憂鬱だった。
「恋愛に興味ないんだ」と答えれば、「恋人がいない人の強がりじゃん!」「美人なのに勿体ない!」と伯母たちに茶化された。反論すればするほど「強がり」になるので、わたしは「余計なお世話ですぅ!」と笑って誤魔化した。
恋人がいないことに負い目を感じている訳じゃないから、強がってなんかいない。顔が綺麗だったら恋愛をしなくてはならないのか。そもそも顔で寄ってくるような人と付き合いたいとは思わない。
恋愛感情がない。結婚に興味はないし、子供を産みたいとも思っていない
わたしには恋愛感情がない。これまでまったく好きな人がいなかったわけではないから、これから一切恋愛感情が芽生えることがないかと聞かれると否定は出来ない。
けど、少なくとも現状はそう。誰かと恋愛関係になることは考えられない。だから結婚にも興味はないし、子供を産みたいとも思っていない。
ただ、最近は一緒に暮らすパートナーのような人が欲しいと思うようになった。
パートナーの性別は問わない。男性でも女性でも、そのどれにも属さないような人でも。一緒に生活が出来る人であれば、どんな人だって良い。その中で恋愛関係に発展したのならば、それはその時だ。
わたしに恋愛感情がない話や結婚観について、家族にも言っていない。「結婚って面倒くさそう〜」とは言っていたので、きっと父や母には、「ただ恋愛に興味のない枯れた娘」だと思われているのだろう。「社会に出たら何か変わる」とも思っているかもしれない。
昔ながらの恋愛観、結婚観は、いつまで「当たり前」なのだろうか
同性婚や夫婦別姓、LGBTQ+などが理解されつつあるものの、昔ながらの恋愛観や結婚観は、日本にはまだまだ根強く残っている。
恋人がいない人イコール可哀想な人、「恋人はいらない」と言う人イコール恋人がいないことを強がっている人、恋人イコール異性……などという認識は、それに当てはまらない人たちの存在を殺している。わたしのように口をつぐむ人は今もたくさんいるのだろう。
惹かれあった男女が恋愛をして、結婚をして、子供を産み育てることが、人生における当たり前とされている。このごく一般的とされる人生を否定したいわけではない。二人で決めたことであれば、素敵なことだと思う。
しかし、「当たり前」はいつまで「当たり前」なのだろうか。