それこそ不謹慎なこと極まりないのではないか。私はためらった
「ああ、きっと旅行はキャンセルだろうな」
これ以上ないくらい不謹慎な言葉が、頭に浮かぶ。
祖母が亡くなった、というLINEがきたのは、三年前の夏の夜。
瀬戸内に旅行に出かける前々日のことだった。
まずは、不埒なことを考えた自分を、脳内から追い払う。
数珠を用意し、喪服のシワを伸ばし、すべてスーツケースに投げ込む。旅行のための着替えで埋まるはずだったスペースが、黒で塗りつぶされていく。
そして睡眠と言うには浅すぎる休息をとり、翌朝の新幹線に乗り込んだ。
お通夜とお葬式があることを考えると、旅行なんぞしている場合ではない。そう思い、もともと旅先で宿泊する予定だった施設に、キャンセルの連絡を入れた。ヤマトさんという方が、対応してくれた。
ヤマトさんは、お悔やみの言葉のあとに、こう続ける。
「予定通りの到着でなくても、もしお望みであれば、いらして大丈夫ですよ。待っていますから」
わたしはためらった。祖母を亡くした数日後に旅行をするなんて、それこそ不謹慎なこと極まりないのではないか。
男木島を再訪。思い出されるのは、祖母の姿
けれど、両親や親類は、わたしを責めなかった。生きている者が我慢してどうするの、と温かくわたしを送り出した。
数日後、仄暗い気持ちを背負いながら到着したのは、瀬戸内のちいさな島、男木島だった。
男木島は、人口200人弱の小さな島。以前訪れた際、わたしはこの島の人たちの「ちょうど良いところ」を模索しつつ暮らす姿に、すっかり惚れてしまったのだった。それ以来、2度目の訪問である。
ヤマトさんがいるのは男木島のとある図書館だった。カフェを併設するその場所で、わたしはウェイターとして働きつつ、2泊3日寝泊まりさせてもらうことになっていた。
与えられた寝室は、図書館の屋根裏だ。海岸線が見える小さな窓と、100冊を優に超える本たち。そこには天国があった。
ちょうどお盆の時期ということもあり、図書館もカフェも盛況。目が回りそうになりながらも、ぜんぜん関係ない場所で、ぜんぜん関係ないことをして気が紛れることを有り難く思う自分もいた。
お昼休みに、ふと目についた本を手に取る。吉本ばななさんの『みどりのゆび』だった。同じ本を、祖母の家でも読んだことがある。言葉少なで、でも大のつくほどの読書家だった、わたしの祖母。本棚に囲まれた彼女の住まいと図書館の風景を、気づかぬうちに重ね合わせていた。
潮の満ち引きのように、忘れたり、思い出したり。
でもいつかは微かなものになり、やがて『みどりのゆび』を読んでも、何も彼女のことを思い出せなくなってしまうのだろうか。
眼前に広がる、燃えるような夕焼け空。わたしはただ立ち尽くした
男木島を出る前日のこと。
わたしは夕食をいただいたあと、本を読もうと図書館の屋根裏に上がった。数冊の小説を手に取り、ふと窓の外を見る。
フレームの先には、見たことのないような夕焼け空があった。
本を置いたままにして一階に降り、図書館を飛び出す。男木島は急な坂道が多い。全速力でかけると、そのまま転がり落ちてしまいそうだ。それでもわたしは走るのをやめなかった。
数分走って見えた、海岸線と夕焼け。
雲と夕焼けによって生み出された燃えるようなグラデーションが、空一面に広がっていた。
グレーと赤を基調にしているものの、じゃあ他の色は何色なのか?分からない。
分からないのに、なぜこんなに泣けてくるんだろう。この風景を言葉にしようとすると、どうして陳腐なセリフしかでてこないんだろう。
夕焼けが水平線へと完全に姿を消すまで、わたしはただ涙を流し、息をするだけの自分として、海辺に立ち尽くしていた。
ヤマトさんから返ってきた言葉。ドーナッツの包み紙を開くわたし
男木島から帰るフェリーのなかで、わたしはヤマトさんにお礼の連絡をした。
祖母を亡くした直後だからこそ、ここに来た意味がありました、と書き、送信ボタンを押す。
彼からは、こんな言葉が返ってきた。
「男木島は、生と死が近い島です。生きるために食べ、毎日四季の移ろいを感じる生き方。どうかあなたも、美味しいものを食べしっかり睡眠をとって、健やかに過ごしてください」
手元には、ヤマトさんに持たせてもらったドーナッツがある。夏の畑で育った、青々としたミントがアクセントだ。
わたしは、ドーナッツの包み紙を開く。そして、がぶり、と豪快に齧りついた。