私には半年前まで大好きでたまらなかった母がいた。
それは突然だった。金曜日に大学の卒業式を終え、帰る車の中、たわいのない話を母としていた。その時の話題は3ヶ月後に迫る結婚式の話や、私に子どもが出来たらという話だった。
母は楽しそうで、子どもを見ること結婚式に出ることを楽しみにしていた。
袴を脱ぐため母の同級生がやってる美容院に行った。その時、結婚式の髪型も母は一生懸命楽しそうに悩んでいた。

食事もとれず、部屋で寝転び唸る母。様子はどんどんおかしくなった

次の日の土曜日、母は体調を崩し、お茶すら口にすることが出来ず、点滴をしても歩くこともままらなくなった。
かかりつけ医に行っても、点滴をして様子を家で見てほしいとの事だった。家に帰って夕飯も食べられない母。部屋に寝転がって唸っていた。
そして日曜日、私はバイトを休み、母の面倒を見ようとした。2時間おきに様子を見て母が大丈夫か気にしていた。本当はバイトに行くはずだったから、バイトの支度もして3時に帰ってくる旦那に(その時は彼氏)任そうとした。
しかし、母の様子がおかしくなった。いや。朝から返答はおかしかったのかもしれない。片隅にはおかしいかもと思っていたのかもしれない。

救急車を呼んだ方がいいのではないか、いやでも救急車はもっと大変な人が使うのかもしれない、その葛藤で1時間過ぎていった。

救急医療センターへ助けを求めた。救急車を呼んでいいのか聞いた。すると帰ってきたのは「ご家族で決めてください」その冷たい一言だった。
その後、母の上司の看護師に様子を伝え、救急車を呼んでいいか聞いた。そしたら「すぐ呼びな」と的確に指示してくれた。

母の瞳孔が開きかけていると聞いたとき、一瞬で分かったその意味

救急車を呼び、救急隊員に話をしていた。大きい病院に運ばれ、医者から点滴をする上で、心臓が止まってしまう可能性があることが知らされた。
その時は病院のマニュアル上、しなければならない説明として聞いていて、危機感は持てなかった。
それよりもいつもの笑顔の母に戻って欲しくて治療をお願いした。そのまま母は、緊急入院となった。帰り際、入院生活で必要な物をドラッグストアで買い、帰った。

そして、月曜の朝6時、病院から1本の電話がかかってきた。
「お母さんが一旦、心肺停止になりました」
その時、私の時間は一瞬止まった。動揺を隠せない。そんな中、お医者さんは続ける。
「30分かけて今は戻っておりますが、瞳孔が開きかけてます」
普通の人が聞いたらなんのことか分からないが、私は福祉の勉強をしてる上で、医学的なことを少しだけ勉強していた。
「30分……」「瞳孔が開きかけている」。一瞬で頭が回った。
「あ。脳死だ」
母はもう戻って来れない。あんなに時が止まっていたのに次の言葉を聞いて、頭がフル回転した。急いで病院へ向かう。

パワフルな母の「大丈夫」は、世界の誰にも負けない強い言葉だった

病棟に着くと、下顎呼吸をしている母がいた。下顎呼吸とは、亡くなる直前になる呼吸で顎が上がる呼吸だ。その呼吸をする母の様子を見て、一瞬で「死」を覚悟した。
お医者さんから説明を受け、厳しいことを言葉で知る。

昔から母は「延命治療だけはしないで」そう言っていただから、覚悟を決めてお医者さんに伝える。
「延命治療はしないでほしい」。声は震えた。
そして段々、脈は落ちていく。「もう頑張らなくていいよ」そう母に言ってしまった。
苦しそうな母を見てられなかった。

いつも元気で笑っていて、パワフルで母の言う「大丈夫」は、世界の誰にも負けない強い言葉だった。
そんな母はもういない。
けど、自発呼吸が止まるまで、家族が揃うまで待って欲しくて声をかけた、まだ父は到着出来ていない。「頑張れ!パパが来るまで頑張るの!」大きな声で伝えた。
脈は100にまであがった、父が来るとその脈はまた落ちていく。父が来て1分も経たないうちに、母は息を引き取った。

母の上司の看護師は電話越しに泣いている。でも私は涙をこらえた。
昔からそう、母に似た。周りに人がいれば、強くいなければと思って泣けない。
看護師が来て私に目線を合わせて「大丈夫?しっかりね」優しい言葉で私を思って出た言葉だと感じた。その人がいなければ今はもっと壊れていたそう思うくらい、優しい言葉だった。

なんでもっと早く救急車を呼ばなかったのだろう。後悔が残る

母の体を綺麗にする時も、その看護師さんと母の思い出を話していた。だから涙が出てこなかった。色々やり家に母と帰ってきた。
その日の夜、その訃報を聞いた母の友達が沢山集まってくる。その中に私が小さい頃から仲が良かった、母の昔の昔の職場の人が現れた。
その瞬間、涙が止まらなくなった。抱きついて泣いた。

私が戻りたいのは救急車を呼ぶか迷ったあの時。
迷わず呼んでいれば、あの1時間で助けられたのかもしれない。
お医者さんは家族を責めないが、少なからずあったのではないかと思う。
母の様子がおかしいことは、もっと早くにわかっていた。
なんでもっと早く救急車を呼ばなかったのだろう。後悔が残る。

母の声を聞きたい。もう一度母の笑顔みたい。「大丈夫」が聞きたい。
一緒に旅行にも行きたかった。結婚式の話も、孫の顔も見せてあげたかった。