いつからか、安易に将来の夢を尋ねてくる大人に対して「OLになりたい」とぼんやりしたことを言う子どもになっていた。
その決意のまま、つぶしのきく大学のつぶしのきく学部でつぶしのききそうな勉強をして、数十社からお祈りされた就活を経て晴れて趣味用品メーカーの営業という職を得た。

趣味が仕事になった。楽しくて、休職の診断書は提出しなかった

甘やかされる1年目が終わり、地方の営業所へ異動。
趣味が仕事になった、という事実はわたしの自己肯定感を高く持ち上げた。営業の仕事も自分には合っているように思えた。もともと人とコミュニケーションをとるのは好きだ。
電話に出たときの声がオペレーターさんみたいに綺麗ですね。
うちの担当はずっとあなたがいいな。
そんなことを言われれば仕事が楽しいと思わない日はなかった。

そんな日々のなかで、わたしの心のビンゴカードに少しずつ穴があいていくことになかなか気が付かなかった。仕事で帰宅が遅くなったのもひとつ。営業先で理不尽に恫喝されたのもひとつ。もしかしたら慣れない土地に引っ越したこともひとつだろうか。
それでも今の仕事が好きだと思っていたが、異動から半年後、医療系の大学に通う妹がわたしの異変に気付いた。
すでにメンタルヘルスビンゴは、縦か横か、揃ってしまっていたようだ。

初診で休職の診断書が出た。
わたしはそれを、会社に提出できなかった。

大好きだった仕事が苦痛になって、ようやく気付いた事の重大さ

薬をちゃんと飲む、きちんと通院する、それでだめなら上司に事情を話して業務の負担減をお願いしよう。これくらいのメンタル不調ならそれで大丈夫でしょ。
そんな風に思っていたのだ。
そもそも営業部は人手不足、こんな役に立たないわたしでも穴をあけてはいけない、という無駄な生真面目さがわたしを毎日出社させた。まともな判断力を失っていた。
誰がどう見てもまともじゃないよ、と友達から助言を受け、診断書を上司に見せた。

「本当に申し訳ないけど、明日も出社してくれ」

結局メンタルヘルスは全然良くならなかった。どちらかというと悪化の一途をたどった。抗うつ薬に加えて睡眠薬を服用し、営業車を走らせながら死ぬことばかり考えていた。
本当に好きだと思っていた仕事がだんだん苦痛にしか思えなくなる。この感覚が一番自分の変化を自覚させた。

やっと仕事を休む決断ができたのは3年目の夏のこと。
休職に入ったのは秋。それから90日間のニートを終えて、先日復職した。

私は稼ぐ。取り戻したい健康は高級品で、奨学金という名の借金があるから

今よりもっと悪い体調で、どうやって働いていたのだろう?自分を客観視できるようになってからはなぜもっと早く仕事から離れる決断をしなかったのかわからない。

ただ、わたしの中に住む少女のわたしが「OLを挫折した」「稼ぐかっこいい女になれなかった」と大人のわたしを責めているような、そんな気はずっとしている。
貧乏生まれ貧乏育ち、奨学金を2つ借りて大学を卒業したようなわたしの価値観の中心が稼ぐことなのは間違いない。なんせ、業務中の自死チャンスから自分を守っていたのが「いま死んだら借金しか残らない」というたいへん後ろ向きな思考だったのだ。
少女のわたし、ごめんね。でも、また稼得エリアに復帰したから許してね。

休職し、無給になってわかった。健康は高い。ものすごく高い。

健康を損なうまで働いた会社にしがみついているのは、ダメになりかけたわたしの心を救ってくれたのもまた趣味であること。
そして、たぶん、まだ少し狂っているからだ。