「つくらなかったの?」
その旅は、大学入試だった。
とある美術大学の自己推薦入試。事前に提出する課題に、「旅をして、発見したことを作品にする」というものがあった。
入試課題のためにイベントへ。刺激を受け、課題を提出したのだが
私は、河原町の繊維問屋街で定期的に開催されている、アートイベントへ向かった。
河原町まで、路面電車で40分ほどの旅。
熊本市にある河原町繊維問屋街は、昭和のノスタルジックな雰囲気がただよう不思議な空間だ。かつて繊維関連のお店が多かったそうだが、リノベーションされ、クリエイターが集まるようになった。
中心街からさほど離れていないはずなのに、河原町のエリアはどこか異彩をはなっている。そんな雰囲気に、当時高校3年生の私は惹かれていた。
アートイベントへ行って、私はおおいに刺激を受けた。どこもかしこもアートに満ちていた。
動物を、繊細かつカラフルに描写したイラスト、木の温かみを感じる彫刻、突然はじまるパフォーマンス……。
イベントの様子や、レトロな建物を写真におさめた。写真に言葉をのせたポストカード集を制作し、それを課題として提出したのだが……。
面接で教授が「つくらなかったの?」と言った、本当の意味
「つくらなかったの?」
冒頭のセリフに戻る。
面接での、教授のことばだ。
課題をつくらなかったのか、という意味ではない。
クリエイターとして、イベントに作品を出さなかったのか、という意味の問いだ。ドキッとした。私はお客さん側に過ぎなかったのだ。
その問いに、なんと答えただろう。記憶がないが、きっと返事に詰まったはずだ。
美術系の高校で、卒業制作があったから時間がなかった……というのは言い訳だ。つくろうと思えばつくれたに違いない。
それから教授は、こうも言った。
「これから、ここでいろいろつくってみようね」
はい、と答えて、面接は終了した。
終わってから気づいた。
「これから」「ここで」
あれ?もしかして受かった?
後日、合格者の一覧に、自分の番号を発見したのだった。
卒業し、つくることから離れたと思っていたけど、そうではなかった
その美術大学に入ってから10年が過ぎた。
在学した4年間、私はいろいろつくれただろうか?
河原町のアートイベントのように、刺激的な日々だったのは間違いない。地元にいたら体験できないようなことばかりだった。
大学では、技術はほとんど教わらなかった。まず、やってみる、というスタンス。
不満を持ったこともあったが、それでよかったのだと、いまは思う。受け身で教わるのではない。自分から発信していかなければ何も得られず、学べない。
高校3年生のときの旅は、路面電車で40分ほどだった。
そこからずいぶん遠くまできたように思える。
モヤモヤと、もがき続けた。いまも、もがいている。
つくることから離れた、と思っていた。大学を卒業してからずっと。
でも、そうではなかった。
いま、noteに毎日、文章を投稿している。
こうしてエッセイを発表するようになった。
「つくる」という旅は、まだまだ終わらないのだ。
コロナのせいで、熊本にはずいぶん帰っていない。
河原町のアートイベントは、数年前に終了したらしい。
もし熊本に帰ることができたなら、また河原町へ写真を撮りに行こう。文章も書こう。
もうイベントはないけれど、今度はお客さん側ではなくて、クリエイター側でありたい。
私は、これからもつくるために旅をする。