韓国のトイレでは、日本の音姫を流す程の静けさはまるでなかった

私に旅が必要な理由は、旅は自分の可能性を広げてくれるから。
なんだか壮大なことのように聞こえるが、私にとってそれは小さいことの積み重ねだ。

小さい頃、私はものすごく恥ずかしがり屋だった。初めての環境や人と関わるときは恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなく、いつも母の脚の裏に隠れて顔を押しつけていた。小学校に入学してからの学校生活では、他人に自分のことを指摘してほしくなく、キモいと思われるようなことや噂の的になるようなことは一切しなかった。

そうやって人の目を気にして敏感に生きているうちに、恥ずかしいことだが、大学1年になるまでは、外で大きいものを催しても家でしかすることができなかった。どんなときでも外でお手洗いに行けるようになったのは初めての海外、韓国への旅がきっかけだった。

韓国のデパートでお手洗いに入った際、なんと自分の隣の個室で声を出して力んでいる人がいた。周りを気にしないでありのままに用を足す人はその他に何人かいて、にぎやかというか日本の音姫を流す程の静けさはまるでなかった。
韓国にいる間は、ほとんどのお手洗いがそうだったように思える。いろんな声や音が混じったリアル音姫はエンドレスなため、私も自分のペースで周りを気にすることもなく用を足すことができるようになった。この経験が慣れをつくり、日本にいる今もそれは定着している。

お手洗いの他に、1人で行動する度胸もできたと思う。乗り物に乗ったり買い物するだけでも、異国の言葉で人と関わらなければいけない。これも慣れだと思う。上手く話せなくても、最初ににっこりの笑顔であいさつをすれば大抵なんとかなるし、気持ちよくやり取りができる。アジアの国々を何回か旅行するうちにその感覚を覚え、最終的には1人でパリに行くことができた。慣れは私に度胸をつけてくれた。

人との距離感は近くもなく遠くもない、心地よい距離でいい

もう1つ旅が必要な理由をあげるとするなら、それは人との出会い。人と関わることはときには疲れてしまうけど、自分の人生や生活を楽しくさせてくれるのも人との関わりだと思う。

その距離感は近くもなく遠くもない、心地よい距離でいいと思う。話したいときに話せ、ふとしたときに連絡が来るぐらいが、余裕のある付き合い方だと私は思う。私が旅で出会った人たちは今でもそんな距離感の友人が多い。

最近、LINEのようなアプリで自分の結婚報告を海外の友人たちにした。出会ってから年月が経ったにも関わらず、出会った頃と変わらないテンションで心から喜んでくれ、友達のありがたさを感じた。自分の好きな人を祝うこと、自分の好きな人たちから祝われること。愛を感じて心が温かくなった。

この他にも兄弟のような、言葉を話さなくてもテレパシーのようなものを感じ合える海外の友人は何人かいる。外国人だからとか、日本人よりもとかではなく、友だちに枠がないことは旅をしなければ本当にわからなかった。

数分で終わるペンションの説明なのに、まるで演劇を見ているかのよう

今はコロナウィルスの影響でなかなか海外には行けないが、国内でも素敵な出会いはある。
昨年行った軽井沢のペンションの主人は人と話すことが大好きで、言葉が滝のように口から溢れていた。数分で終わるペンションの説明なのに、まるで演劇を見ているかのようで、その面白おかしさに涙を流して笑ってしまった。これほど仕事が好きで仕方ないという人には出会ったことがなかったため、仕事を楽しむという目線や努力も必要なんだなと新鮮な気持ちになった。

旅はいろんなことを教えてくれる。日常ではできない濃厚な経験をぎゅっと詰め込んで与えてくれる。そしてそれは後になって素敵な思い出や悟りになる。だから私は旅を続ける。