2021年の私……自分で言うのもなんだが、本当に良く頑張った、という言葉を送りたい。会社で結果を残せたとか、私生活で大きな変化があったとか、何か褒められるようなことを達成できたわけではない。むしろ失うものの方が多かったように思う。

彼との将来を考えて、地元へ戻ることにしたのに…

2021年、常に心の中に「このままで良いのだろうか。なんか違うな」という違和感がずっとあった。
夏に差し掛かる前、約3年間お付き合いしていた彼氏とお別れをした。4年半、地元を離れた地で仕事し、秋に異動し、地元へ戻ってきた。総合職、というキャリアを捨てた。遠距離恋愛だった彼氏との将来を考えるための選択だったのに、実際、地元に戻ってくる前にお別れすることになってしまい、なんだかなあ、とずっと心にもやもやが残った。

家族とも、親友とも、会いたいときに会える環境に戻ってきたにもかかわらず、やっぱりそこに彼がいないとなあ、と、もはやもう戻れることはないのに、ずっと残る後悔。

私は手紙を書くことが好きで、よく彼には節目に言葉を送っていた。戻ってきたんだよ、ということだけでも伝えたい、伝えたら何か変わるかもしれないと思い、便りを出した。LINEで送るのが怖くて、手紙にした。何かレスポンスがあるかもしれないという期待はうっすらありつつも、自分の気持ちに蹴りをつけるためでもあった。結果、音沙汰はなかった。

これで良かったんだ、という自分と、これで良かったのかな、という自分が交互になって現れた。つらかった。ひとりで何度も泣いた。何で泣いているのかもよく分からなかったけど、仕事場に向かうバスの中で、音楽を聴くだけでもなぜか涙がでた。

2022年は、感情を押し殺さず、素直に生きる。自分で自分を責めない

2021年の終わり、昔から私を良く知ってくれている先生と会った。この選択で良かったのか、ずっともやもやしていることを伝えた。
先生は「自分ですべて決めて判断したことだから、いつかその決断をして良かったとあとになって思えてくるよ。自分で決められて良かったよ」と言った。

確かに、大好きな人との別れも、キャリアを捨てて地元に戻ってきたことも、全てあの時の自分が決めたこと。自分の決断に後悔しかけたとき、欲しかった言葉がふと包み込んでくれて、私は私で良いのだと、スーッと気持ちが楽になれたような気がした。

今まで誰かの意見を聞くことが怖かった。誰かの言葉で、自己肯定感が下がってしまうことが多かった。だけど、誰かの言葉で救われること、自分でも言葉を連ねることで自分の心が動く瞬間をありがたく感じた出来事だった。

これまでずっと自分の決断や行動に、結果や意味を考えてしまうことが多かった。周りからの評価を高めたいからこうしよう、とか、自分のためにつながる何をしなきゃ、とか、自分がしたいこと、ではなくて、したら良さそうなこと(有利なこと)をいつも考えて生きてきた。
2022年の宣言は「自分がしたいと思うことを、する」ということだ。その時の感情を押し殺さず、素直に生きること。自分で自分を責めないこと。

決断させてくれた彼に感謝。もっと大好きになれる人に、きっと出会える

2022年に突入した。とても清々しい気持ちだ。今の自分に問いかけてみる。何がしたいのか。何がしたくないのか。

大晦日、元日と毎年のように仕事をし、もはや「仕事納め」という言葉は私には存在しないので、ここまでせわしない年始を駆け抜けて、ようやくひと段落したところでこの文章を書いている。

2021年の流れのきっかけをつくったのは、お別れした彼氏の存在だ。いろんな感情と、決断をさせてくれた彼氏に感謝している。そんな大好きだった彼氏より、もっと大好きになれる人に出会いたいと思うし、きっと出会える。

そう思えるようになった私は、また一段強くなれたと思う。
2022年。自分が大切と思う人と、自分がその瞬間「したい」と思うことをする。それが私の宣言だ。