私は、よく旅をする。
日常では味わえないような風景や味わいや人との出逢いから、それが自分の琴線に触れた瞬間が生きていく希望のように感じて、その度にこの世界に存在するたくさんの景色をもっと見たいという思いが停めどなく溢れ出てくる。
その時の感情というのは、自分でも驚くほど煌めいていて瑞々しく、まるで地面から勢いよく水が溢れ出すかのようだ。
ただ、その新しい景色に出逢いにいく方法は入念に下調べをするのではなく、そこには偶然の重なり合いが重要のように思う。SNSでいとも簡単にお勧めが出てくるのは何とも便利至極なのだが、敢えてそこまで詳しく調べないようにしている。その時にしか起こり得ない自分の気持ちを大事にしたいから。
友達と大分旅行をした時、温泉で出逢ったおばちゃん
まだ大学生になりたての頃だっただろうか、友人と一緒に大分の温泉に足を伸ばしたことがある。たくさんの温泉名所の中から駅や空港で得た情報を元に珍しさに惹かれた、とある泥温泉に出かけることにした。泥を含んだ白濁した温泉は想像以上に斬新で、はしゃいでいたように思う。
そんな時に、私の母親くらいだろうか、同じ温泉に浸かっていたおばちゃんから声をかけられた。どこから来たのか、ここまで来るに至った経緯などをお互いに話した。
どうやら、その方は広島からやってきたらしく、温泉巡りが趣味のようだった。山を登る時にすれちがいざまに挨拶をするかのように、あまりにも自然な会話でお互い心地よい気分に包まれて連絡先まで交換する仲になったのだった。
偶然知り合ったおばちゃんに連絡して、広島を案内してもらった
その時はあまり長居せずに別れたが、その後私たちは福岡を経由して中国地方に行く予定を画策していた。まだ、学生だったので夜行バスを使いながら向かったのをよく覚えている。そして、思い出したのだ。
「温泉でお会いしたおばちゃん、広島の方だったよね、LINEしてみようよ」
そう言い出したのは友達の方だった。
旅は人の気持ちを酔わせてしまう。数分のみ会話した仲にも関わらず、私たちはダメもとで連絡してみることにしてみたのだった。すると折角だから広島を案内するので、是非来て欲しいとの返信だった。
私たちは、言われた通りに平和記念公園の前に集合すると、何日か前に温泉で会った見慣れた顔のおばちゃんがにっこり車の運転席から覗かせて待っていた。
縁というものの不思議たるや、その日はお好み焼きをご馳走してくれたり、宮島に足を伸ばして瀬戸内海の美しい景色を眺めたりして、大満足の1日を過ごしたのだった。
景色や食だけじゃなく、「人との出逢い」が旅をより美しく彩る
帰りの運転をしながら、おばちゃんは「本当に来てくれてありがとうね」と大層喜んでくれていた。私と年の近い息子がいるらしく、まるで娘のように思ってくれていたのかもしれない。
その後、私たちは東京に戻ってきたが、定期的に連絡をくれた。最近あったことを話してくれたり、地震やコロナで不安な状況になった時にも無事かどうか声掛けをしてくれたりして、まるでお母さんみたいだった。
そんなわけで、私にとって瀬戸内海の綺麗な風景と、お好み焼きの味とおばちゃんはセットで美しい思い出として残っている。
これまで、他の旅でもこうやって景色や味や人が混ざり合って、美しさをより出逢うべくしてのような人生の1コマに変えるようなことがあった。そんな1コマが増える度に、心がホクホクし、そんな気持ちになれる感性を持ち続けながらたくさんの出逢いをしていきたいなと思う。
見たい景色と食べたい味と、会いたい人が私の最高の生き甲斐なのだから。