仕事も責任も増えたと同時に、いわゆる欲求は少しずつなくなった
毎晩0:00になると、オフィスの窓から見える巨大な観覧車が赤く光り出す。綺麗だ。
それを合図に帰宅の準備をする。赤く光る観覧車を後に終電に駆け込み、自宅の最寄り駅のローソンでおにぎりとエナジードリンクを買う。
帰るとまたパソコンを開き、仕事の続きをしながらおにぎりをエナジードリンクで流し込む。うつらうつらとするうちに空が白くなってきて、朝が来たことがわかる。
拭き取りタイプのクレンジングでメイクを落とし、手早くシャワーを浴びる。甘ったるい香水をつけてまた会社に向かう。
新卒で入った広告代理店で働いて2年、仕事も責任も増えた。それと同時に私の何かを「したい」とか「みたい」「味わいたい」みたいな、いわゆる欲求は少しずつなくなっていった。
ある夜、パソコンを閉じて寝転んだ目線の先に開封していない小包があることに気づいた。赤い包みを破くと数ヶ月前にメルカリで買った「深夜特急」の全巻セットが出てきた。「深夜特急」はバックパッカーのバイブル的小説である。
パソコンの入っていない鞄は軽い。空港につくと、無条件に心が踊る
大学生の時、よくバックパックをひとつもって熱に浮かされたように旅をした。
薄い麻のワンピース2枚と文庫本だけをもって、道が続く限り、歩いた。ヨーロッパの街を、東南アジアの片隅を。
ドミトリーの独特な匂いや初めて降り立つ町に少しずつ自分が馴染んでいくあの感覚を、久しぶりに思い出した。心の中のアルバムをめくりながら、ふと深夜特急にはまだ乗ったことがないなと思った。
大学生の私が目を覚ました。今度のゴールデンウィークに深夜特急に乗ってみるというのは、なかなかありなのではないか。
ゴールデンウィーク前夜、私はすべてを投げ出して成田空港行きの電車に揺られていた。
パソコンの入っていない鞄は軽い。これから日本を離れて遠い暑い国に行くことが信じられなかった。空港につくと、無条件に心が踊ってしまう。
飛行機の深夜便に乗り込み、気付けば目的地であるタイに着いていた。
バンコクから、タイの外れにあるノンカイという小さな街まで深夜特急で向かい、そこから隣国のラオスへの国境をバスで越えるのだ。
バンコクの外れにある、教会のような駅に入ると大広間におびただしい人が列車を待っていた。人一人分くらいの荷物を持っている家族や、浮浪者のような人や、私のような観光客。
ここは名目上、列車の待合所だけれど待合所らしい設備なんてない。あるのは床だけ。みんな地べたに座って待っていた。私も荷物を前に抱えて大家族とカップルの間に座り、身を硬くして待っていた。
三等車の環境は劣悪。それでも乾いた心に水が染み込むようだった
出発の30分前に列車に乗り込んだ。三等車の環境は劣悪だった。公園のベンチみたいな固い椅子にクーラーなんてものはもちろんない。開けっぱなしの窓からバンコクの湿っぽい重い風が入ってくる。四人がけの席で、向かいには貧しそうな大家族が座っていた。隣にはオレンジ色の袈裟を着た僧侶。
列車は1時間近く遅れて出発した。一分一秒、惜しみながら仕事をしていた日本での生活を考えると、列車が1時間も遅れるなんて冗談じゃない。待ち時間も含めると2時間近く、何もせずにただ「待っている」時間を過ごしたのは一体何年ぶりだろうか。
しかし不思議と、イライラはしなかった。乾ききった心の土壌に清潔な水が染み込んでいくような穏やかな気分だった。
到着までの14時間。永遠のような時間であった。
半分だけ眠りながら夜が明けていくのを感じていた。
ふっと目を開けると、窓の外にいま始まったばかりの朝焼けが見えた。分厚い黒雲を数本の光線が突き刺し、紺色の夜を裂いていた。青色とオレンジのグラデーションの下にちょっとだけ顔を出した太陽は燃え盛る火のように赤かった。
ふと、この景色を見られただけで今までの辛かった事や苦労を補って余りあるほどに、良かったと思った。たとえいま強盗に襲われて殺されたとしても、後悔しないかもしれない。
もう死んでもいいと思える瞬間をいくつ集められるかで、人生の充実度が変わるのかもしれないと思った。
夜が明けて、田舎の駅に着くと、地元のおばさんが美味しそうな焼いた鶏を串にさしたのを売り歩いていたので、買って食べた。朝焼けによく合う。2時間遅れで着いたノンカイの駅に降りた。
ラオスは穏やかな街だった。私はそこで3日間を過ごした。日本に帰っても、特段なにも変わらずまたあの忙しい日々が戻ってきた。滅多なことじゃ、人生というのは変わらない。
でもあの深夜特急から見た朝焼けだけは、心の奥底に仕舞って、今でも時々取り出しては眺めている。