旅はいつかの私を覚えていてくれる。通学路は私の成長を教えてくれた

旅はいつのだってどこへだって、その時の私の記録だと思う。遠い昔からずっと変わらず、たくさんの時間の中で存在する自然や歴史建築、綺麗に作られた有名なスポット。何度も歩いた懐かしい道。いつ訪ねてもそこにあって同じ景色を見られる、そんな風に安心できる場所を見つける事、訪ねる度に思い出を残す事。

そして、いつかもう一度次に訪ねる時を楽しみに出来る場所。何に感動したとか、何か心に留まったとか、そういうその瞬間の自分を切り取って保存して、また訪ねる日までの成長を教えてくれるであろうお気に入りの場所を見つける事こそ、旅の醍醐味だと思う。

例えば、小さい頃、毎日のように使った通学路。使っていたあの頃は、その道を使わない日が冒険という旅だった。でも今振り返れば、同じその道を歩き続けた毎日の方がずっと小さな旅の積み重ねだった。使わなくなった後、ふと思い出してもう一度足を運んだのは、通いなれた、小さな旅を重ねた懐かしい道だった。

そして思っていたよりもずっと狭いその道に、使わなくなってからの自分の成長を教えてもらった。もちろん毎日通っていたその間にだって、たくさんの事を学んで成長していたし、身長も伸びていた。でも、その時には全然気にしていなかった成長は、時間を置いてからもう一度足を運んでみないと気づけないものだった。

小さな変化の積み重ねに、なかなか気づけないままだった

何も変わっていないと思っていた。ずっと変わらないまま、私は私だと思っていた。でも、そんな事はない。望もうが望まなかろうが、知ろうが気づかなかろうが、人は決して止まれない。たくさんの事を通り過ぎ、何かを選択していくその過程で変わっていく。頭を悩ませた不安も手をすり抜けていく小さな変化もそのすべてが、私のどこかに留まって一部になっていく。

ゆっくり馴染むように変化していく中で、その変化を知る事は私だけでは難しい。私の基準はいつだって私だし、いつでも教えてくれる人がいつでも傍に居てくれる訳ではないのだ。だから、いつか振り返った時、気づけるだけでも素敵な事だと思う。そんな期待を胸に、私は旅をする。

これからも、たくさんの懐かしい場所と心惹かれる方に足を向ける

旅先で出会った小さな感動やふと思い立った決意。その場所に行けばまた、また感動できるのだろうか。取りこぼしてしまった何かに気づけるだろうか。文庫本よりも小さなスマートフォンは、私に世界中のどんな景色も見せてくれるけど、その景色は見る時々で変わってしまう。風も大きさも届けてはくれない。隣で一緒に楽しんだ誰かの存在も記憶してはくれない。

私はあの場所からどのくらい離れられたのだろうか。決意したあの時の夢見た場所へ近づけたのだろうか。いつか確かに、この場所に来た事がある記憶、その時の懐かしい景色、そんな小さな感動をまだ思い出せると確認するために、私はこれからもたくさんの懐かしい場所と心惹かれる方に足を向ける。そして、たくさんの場所に迷った思い出と選んだ足跡を付けながら、振り返るいつかの旅を楽しみにしている。