私は大きな旅よりも小さな旅が好きだ。
大きな旅にはお金と時間がかかる。それから知らない場所に行くには下調べが必要だ。別にしなくてもいいのだけれど、なんとなく調べてから行きたくなってしまうから必要と言っておく。
どこかに行きたいなあと思った時に下調べに時間がかかると、結局調べるだけで満足してしまう。それに時間が経つとまた別のところへ行きたくなってしまったりするので、やっぱりいいや!と途中で投げ出してしまうのだ。計画倒れだ。だから大きな旅には滅多に行かない。

小さな旅は、気の向くままにプラプラと散策するようなお出かけのこと

ところで小さな旅って何?と思うかもしれない。そもそも大きな旅とは、例えば電車や飛行機だとかの交通手段を使って、移動に何時間もかかるような普段は行かない場所に目的を持って出かけることだと思っている。
だから小さな旅はその逆だ。特に目的もなく気の向くままにブラブラと散策するようなお出かけ、それを小さな旅だと思っている。

私はよく小さな旅に出かける。目的もなく出かける時もあれば、出先で用事が済んだ後にする事もある。
小さな旅と言っても、知らない街の中をただ気の向くまま歩くだけだ。例えば出先が駅から離れた場所だったとしたら、駅まで交通手段に頼らずひたすら歩く。だいたいそういう場所の移動手段はバスなのだけれど、バスで15分から30分くらいの距離なら時間がある時は大抵歩く。
駅までそのくらいの時間を要する場所は、だいたい距離にして8キロメートル前後なので良い運動にもなる。この小さな旅の良いところは、満足したらいつでも終わりに出来るというところだ。天候が悪くなってしまったり、散策に満足したりした時は交通手段に頼ればいい。

いつでも終わりにできるし、ふらっとお店に立ち寄ることもできる

小さな旅に出る時、カバンにはエコバッグとモバイルバッテリーとお財布、夏場は折りたたみの日傘を入れて持ち歩いている。特にエコバッグは必須だ。この小さな旅では買い物がつきものだ。
それはケーキ屋さんだったり、パン屋さんだったり雑貨屋さんだったり。歩いていると思わず足を止めてしまうようなお店に巡りあえる事も少なくない。そんな時に、買ったものをしまえるエコバッグは絶対になければならない。
財布は言わずもがな買い物や交通手段に頼る時のため。モバイルバッテリーは地図アプリを使う時にスマホが使えないと困るから。交通手段に頼らないようにするとはいえ、自分がどこにいるかわからなくなると流石に困る。

小さな旅の良いところはさっきも書いたが、満足したらいつでも終わりに出来ることに尽きるのだが、他にも良いところはある。一つは寄りたい店にふらっと立ち寄ることが出来るところだ。
同じ道を行く時に、バスに乗っていたらきっと通り過ぎてしまう場所でも、徒歩なら入ろうと思えばすぐにお店に入れる。とくに夏場は寄り道が多い。歩いているとのどが渇く。そんな時に目の前に冷たいドリンクを売っているお店があったら入らずにはいられない。

一番よいところは、日常の中の非日常を味わえるところ

これは小さな旅を始めてから気づいた事なのだけれど、住宅街や駅から離れた場所でやっている個人店などでは、飲み物はテイクアウトできる店が多い。だから、気になったらその場で手軽に冷たいコーヒーやアイスティーなどのドリンクを購入することができる。
「知らないお店に入るのはなあ」と足踏みしてしまう人もテイクアウトなら気軽に立ち寄れるだろう。それから、場所によって同じチェーン店でも値段や商品が全く異なることだ。
特にBOOKOFFや古本屋。今は販売されていない絶版になった本や雑誌、CDなどの掘り出し物に巡り会えることがものすごく多い。あれもこれもと寄り道するたびに荷物は増え続け、帰る頃には両手は荷物でいっぱいなんて事も少なくはない。

そして小さな旅の一番良いところ、それは日常の中の非日常を味わえるところだ。本当は小さな旅とは言っても、言い換えれば散歩のようなものでしかない。私がこの小さな旅をする理由の一つに、創作活動におけるネタ出しをするためという理由がある。
人に囲まれて生活する中で誰のことを気にすることなく一人になれる時間、それが小さな旅でもある。ネタ出しとは言っても、ネタを出すには元となるネタが必要である。自分の知っていることの中でネタ出しすると、それは似たり寄ったりになりがちだ。知っているものからしかネタは生み出せない。良いネタを仕入れるには刺激が必要だ。

誰かの日常の中にある非日常の刺激が欲しくて、私は小さな旅に出る

小さな旅を続けて気づいたことがある。誰かにとっては普段と代わり映えのない一日でも、私の日常とは違うということだ。
ある時、私は駅に向かうために土手の上を歩いていたのだけれど、そこでバドミントンの練習をする親子の姿を見てハッとした。
青々と茂る草っ原の上で向き合って羽を打ち合う母親と小学生の高学年くらいの少年。少し離れた場所にレジャーシートを広げて、練習する母親と兄の姿を横目につまらなそうにスマホをいじる女の子。
今は夕方だから放課後に練習に来たのだろうか。活発そうなお母さんは昔、運動部に入っていて、息子の練習に付き合ってあげているのだろうか。そして男の子はなぜ練習をしているのだろうか?体育の授業でやってるから?そして女の子はそんな二人の姿を見て何を思うのか?

その家族にとってはただの日常のひと時ではある。けれども、その家族の日常からただ生み出され続ける物語性のようなもの。私はそれを感じていた。
結局のところ、散策中に見つけた店での買い物も副産物に過ぎないのだ。私が小さな旅に求めているのは、こんな風に誰かの日常から生み出される刺激なのである。
私に旅が必要な理由。それは誰かの日常の中にある非日常の刺激が欲しいから。