「162センチじゃ、話にならない。広告モデルでも身長が足りない。ランウェイなんて論外、笑ってしまう」
私は特別顔が整っているわけでも、スタイルが良いわけでもない、どこにでもいる無職の22歳だ。事の発端は母がプレゼントに、とチャリティで購入してくれた憧れの世界的スーパーモデルの写真だった。
真っ白な額縁にモノクロの写真。中に添えられたアイボリーの一通の手紙。直筆のサインを手にして初めて「この人は実在しているんだ」と惚けてしまった。
「やるしかないでしょ」。私に向けられたエールだと感じた
そんな彼女がある日、インスタグラムで質問に答えていた。その中で、目に留まる一枚があった。
「やりたいことがあるのに自信がなくて足踏みしてしまいます」
まさに、今の私だった。これに対して彼女の返答は一言だけ。
「やるしかないでしょ」
涙が出た。あの、冨永愛が放つ言葉の重み。
質問をした人は、モデルをやりたい訳ではなかったかもしれない。しかし、それは私に向けられたエールに他ならなかったように感じた。
私は速攻モデル事務所を探し、すぐに美容院を予約した。通いなれた美容院で、気難しそうなオーナーに、初めてオーダーをした。
出来上がったのは眉まで染めた綺麗なブロンド。コンプレックスだったのっぺりとした顔。プチ整形で二重にしたが、幅が狭くてぱっちりとしない凡庸な目元。あえてそれを前面に出してみたかった。
ドーリーな韓国系美人にもクールな中国系美人にも、一般的に可愛いとされる日本の女の子にも、なれないしなりたくなかった。ザ・アジア顔なのにブロンド。
理想通りの仕上がりにお礼を言ったら、うーん、と悩むように、少しぶっきらぼうに投げられた質問。
「本当はさ、一番、一番だよ。一番何になりたいの」
モデルとして事務所に所属。鬱が酷くても彼女に会いたかった
モデルです。羞恥心は感じなかった。結果、ご縁をいただいた事務所に2022年の3月から所属することになった。
所属が決まってから鬱が酷くなった時期があった。本来であれば身体作りをしなければならないのに、摂食障害による過食でみるみる増える体重。
運動しようにも布団から起き上がれないのだから話にならない。3月までに減ったらいいなと思っていた薬の量は2倍に増えた。もう、諦めようかと思った。
そんな時、一般人がランウェイを見ることができるチャリティファッションショーに冨永愛が出ると知った。
伸び切って傷んだ髪をひっつめにして、1ヶ月ぶりくらいに化粧をした。会場へは父が付き添ってくれた。人混みも、頓服薬で乗り切った。
コレクションを媒体を通さずに観たのは初めてだったため、服も気になれば等間隔で歩いて来るモデルも気になって、視界がてんやわんやだった。
途端、ランウェイの舞台を中心に空気が張り詰めて目を奪われた。背筋が伸びるような緊張感はむしろ心地がよく、彼女が一歩、そしてまた一歩とヒールを踏み出すたびに心躍った。
完璧ではない自分だけど、他者評価から脱して自分を愛していきたい
帰り道、私がモデルを目指したいと言った時、「負け戦はしないほうがいい」と言った父の口から出たのは、否定の言葉ではなく彼女の称賛と私へのエールだった。
「いちばん上を見たんだ。トップだよ。もうどんぐりの背比べはやめなさい。上だけ見ていれば、怖いものなんてない」
はい、だったか、へぇ、だったか、私はなんとも間抜けな返事をした。
私は常に、SNSや人の噂話で他人と自分を比較してきた。人格や教養は違うが、容姿は画像1枚でわかる。脚が細い子、顔が小さい子、そして、背の高い子。自分が気にするように私も他人から評価されている、そんな意識が渦巻いて聞こえぬ声を怖がっていた。
でも、今年はコロナ禍の今こそ、他者評価から脱して自分を主軸に置こう。彼女を生で見て、そう思えてから、私の具合はびっくりするほど良くなった。
完璧ではない自分。それでも愛していきたい。