「手話の仕事もいいと思う」
職場のイベントで手話の歌を発表したら、上司からそう言われた。
私は嬉しくなって、手話の勉強を始めた。21歳の冬のことだった。
小学生の頃、私は人とのコミュニケーションがとても苦手だった。そんな中、福祉教育の授業で手話を知った。手話だと声を出さなくても会話ができる。
そう思って私は手話に興味を持った。でも、勉強するほどの熱意は、その時の私にはなかった。
自分の精神面に自信がなくて、手話奉仕員養成講座を受けるか悩んだ
22歳の春に、地域の手話サークルに行くため、公民館へ足を運んだ。
手話で自己紹介をしようと家で練習していたけど、いざ人を目の前にすると緊張した。私は声を出して、他の人が通訳してくれた。私は聴覚障害者と、手話関係者の方たちと知り合いになれた。
24歳の夏、コロナ禍。私は手話関連の情報を探しながら、広報を見ていた。「手話奉仕員養成講座 受講生募集」。その言葉を見つけると、「今年講座があるんだ!」という驚きと同時に、ある不安が頭をよぎった。
私は子供の頃から、精神面の健康に自信がなかった。本来なら前の年に、講座が開催される予定だった。でも、コロナウイルスが流行り、講座も延期になった。
そして、やっと講座が開催されるというのに、私はずっと悩んでいた。
「こんな私でも手話奉仕員になれるのか?」
「もしなれたとしても、失敗したらどうしよう」
時には「手話奉仕員になるの、やめようかな」と思うことも。
私は、知り合いの手話関係者の方に電話した。私は泣きながら「精神面の健康に自信がないんです。それでも手話奉仕員になれるんでしょうか?」と話した。
手話関係者の方は、私の話を聞いてくれて、「奉仕員になっても、仕事で忙しくて活動してない人もいます。なので、奉仕員になったからって絶対活動しなければいけないわけではないんですよ」。
話を聞いて、私は落ち着きを取り戻した。
手話奉仕員養成講座を受講して、もっと上手に表現したいと思った
手話奉仕員になったら、絶対に活動をしなければいけないわけではない。自分の活動できる範囲でいい。私は決意した。
「手話奉仕員養成講座、申し込みます」
まだ暑さが残る秋。福祉センターへ向かい、部屋に入った。たくさんの人がいて私は驚き、緊張が高まった。
手話奉仕員養成講座、開講式の日。その日は講義もあって、聴覚障害者の生活や困っていることを知った。
講義終了後私は、こんな人の多い中でやっていけるのだろうかと、不安な気持ちのまま家に帰った。
次の講座では、物の形の表現、身振りや表情を工夫してみようというものだった。中にはとても上手に表現している人もいて、私もそんな風に、上手に表現したいと思った。
講師は「みんな俳優、女優になれますね」と言って、場を和ませた。次第に緊張も解けていき、私は講座を楽しむことができた。
私はまだ手話奉仕員ではないけど、困っている人の役に立てたら
講座終了までは、まだまだ道は長い。きっとこれからも楽しいなと思うこと、難しいって思ったり、つらいと思うことがあるかもしれない。
私は正直、まだ手話奉仕員として活動する自信はないし、まだなれると決まってもないけど、でも困っている人の役に立てたら、どんなに素敵なのだろう。聴覚障害者のために、私の手で必要な情報を伝えられたら。
「手話の仕事もいいと思う」。あの日、上司が言ってくれた言葉がよみがえる。
難しくて仕事にはできないかもしれない。でも、ボランティアだとしても立派な活動だ。
私の手は、声は、心はこう宣言する。私は手話奉仕員になる。あの一言が、私の手を手話まで導いてくれたんだ。