村上龍の「歌うクジラ」は、不老不死の鯨が2022年に発見されることから始まるこの小説では、ディストピアとしか言いようもない日本の近未来が描かれている。
上流階級は不老不死の細胞を埋め込まれて永遠に生き続けるものの、床ずれによって四肢が壊死していく。一方、中流や下流の人間は効率化の波の中で文化を失わされ、刑罰で命が簡単に奪われてしまう。そんな状況下で、主人公のアキラはひたむきなほど、健気に、父から託された使命である「ヨシマツに会う」ことを信じて駆け抜けていく。

近未来というにはあまりに現代に共通するような本だ。だからほとんどの書評では現代日本の批評だとか、医療技術の発展による寿命の拡大とか、そういうことが書かれている。でも私にとってこの本は救いだった。

常に何かに追われて忙しく、無味乾燥な大学生活。ただ焦っていた

この本に出会ったのは大学生の時だ。当時の私はアルバイトと学校に明け暮れていて、ひたすらに生きることにもがいていた。もがくというよりも、何かに追われるような生活だったと言っても過言ではない。

おそらく理由は高校時代よりも圧倒的に暇になってしまった、大学生特有の空虚な時間だ。周囲は一人暮らしにサークル活動、そして友人との遊びと楽しそうだったのだが、私はどうしてもその空気に馴染めなかったのである。
というのも、私は学費をアルバイトで賄っていたからだ。

年間60万円。その費用は、時給900円や1000円のバイトを掛け持ちしてなんとか捻出できるお金だった。休日返上で働く日々。普通のバイトに加え、長期休暇になれば短期のアルバイトも掛け持ちする。
心を亡くすと書いて忙しいと読むが、本当に当時の記憶がほぼない。文字通り心が死んでいたのだろう。無味乾燥なままで、どうして友達と遊ぶなんて元気があるんだろう。馴染めないのも、今考えれば当たり前の話だった。
でも当時、渦中にいた私にはそんなことがわからない。ただ焦っていた。思うようにお金が貯まらないのも、友達というか同級生と遊ぶことはおろか話を合わせることもできない、そんな自分に。

アルバイトを辞め、大学も億劫になった時に手に取った「歌うクジラ」

そして、私はボロボロになった。

当時の職場はレストランの厨房だった。ある日、私たちスタッフは全員で掃除を行わなければならず、青い薬品を使ってひたすら全ての器具を磨いていた。
その帰り道、全身が発疹で覆われた。痒い。くしゃみも止まらない。しかし、病院で検査を受けても薬剤が原因とはわからなかった。
対症療法しかできず、いまだに原因は不明だ。もしかするとストレス性の発疹なのではないか、と言われた。静養が必要だと医者に厳しく言われ、私はアルバイトを辞める羽目になった。

その反動で、今度は大学に行くのも億劫になった。今考えれば心療内科などに行くべきだったのかもしれない。だがアルバイトも辞めて忙しくなくなった私は、しかし同時に何か改善しようとする心さえも失くしていた。
その時に、ふとそういえば話題になっていたなと手に取ったのが「歌うクジラ」だったのだ。

分厚い上下巻だった。大学に入って本を読まなくなっていったのに、そしてあんなに無気力になっていったのに、あの時は2日で読破してしまった。

誰かに託された使命じゃない。ならば、多分私はまだ頑張れる

私はアキラじゃないのだと思った。私には命に替えてもいいような使命なんてない。そもそも彼の使命は、彼が父親という特別な存在から与えられたものだからできたことだ。私みたいに、自分のためのお金を必死になって働いて貯めるなんていう使命とは全く違うのだ。
ならば、多分私はまだ頑張れるなと思った。別に、ディストピアだろうが現代日本だろうが、どこでだって一緒だ。私たちは私たちのエゴのまま、本能のまま、都合のまま動く生き物なのだから。今まで頑張ってきた、なんてどの口が言うんだろう。そう思った。

おそらく私はこの本ではじめて、はたと立ち止まったのだろう。立ち止まって、振り向いて、意外と進んでいないことにびっくりした。びっくりして、もっとできるなと確認した。

それから私はもう少し休みを増やし、学校ものんびり行くようになった。
ある日、母に言われた、「憑き物が落ちたよう」という形容はまさにその通りだと思う。当時何に追われていたのか今考え直した時に、多分忙しいという言い訳をしたい自分とか、忙しいことでアイデンティティを保っている自分の自尊心とか、そこらへんなのかもしれない。

誰かに託された使命じゃない。
忙しい時でも、何か嫌な課題がある時でも、その言葉が今も私の救いになっている。