付き合い始める少し前から流行っていたback number の「瞬き」という歌が私はすごく嫌いだった。
歌詞の意味を理解できる部分もあった。
でも、当時の私には幸せとは大切な人に傘をさせること、なんて言っても、離れてたら傘なんてさしてくれないし、させない。
幸せは目を凝らして見つかるものでもないって言うけど、私たちはお互い努力して幸せを作ってるし掴もうとしてる。目を凝らして凝らしてなんとか頑張ってるんだから、見つかってもらわないと困る。
そんなふうにしか思えなかったのだ。

疲弊し頼りなく見える社会人の彼と、寂しさと不満でもがく大学生の私

どうせ忙しいんだろう……って諦めたり、黙ってたりするのが強くなることで、それが社会人の人と付き合う絶対条件なら、私はどこまで強くなればいいの?私そこまで強くなれるのかな……安心、安定ってそうなれるよう努力はするけど、夫婦じゃないんだから大学生の私には難しいことも多いんだよ……。辛いときそばにいてほしいし、話も聞いてもらいたい。LINEだって本当はすぐに返してもらいたい。

……これは、当時の私が彼に言えずにメモに書き留めていた約75000字のもがいた記録だ。

大学生の頃、バイト先の8歳年上の社員の彼と付き合っていた。
彼は転勤のタイミングで私に告白し、プチ遠距離から私たちの付き合いは始まった。仕事もできたし、人気もあったし、時々車で大学まで迎えに来てくれる時なんかは、本当に嬉しくて友達に自慢しまくっていた。尊敬できる先輩であり、憧れの大人であり、なんて素敵な人なんだと思っていた。遠距離の経験はなかったけど、2週間に1回会いに来てくれるなら平気だろうと思っていた。
でも、時間を重ねるうちに仕事に追われて疲弊していく彼は大人だけど頼りなく見えて、周りのカップルみたいに当たり前に会えるのが羨ましくて、寂しさや不満ばっかりをぶつけるようになっていた。
1年ちょっと付き合って別れた時には、彼を思い浮かべるのもうんざりだと思うほど私は疲れ切っていた。

社会人1年目、彼は本当に頑張って付き合ってくれていたことを知った

それから4年が経った。私は彼と同じ社会人1年目を迎えた。そしてやっと、彼は本当に頑張って付き合ってくれていたことを知った。
今の私には貴重な休日に2時間も運転して彼氏に会いに行くなんて気が遠くなるし、あの頃私が彼に言ったようなわがままを言われたら、間違いなく即別れを選ぶ。

会いたくなくて会えないわけじゃない、めんどくさくて返信していないわけではない、嫌いだから反応が薄いわけでもない。社会に出て働くと言うことは、仕事が1番でその次に来るのが恋愛なのだと気づいた。
当時の私もそれはきっと知ってただろう。でも、どれほど言っても言い聞かせても、わかったふりはしても納得できないと思う。
あの頃はあの頃なりに大人になろうと努力していたし、私なりに真剣に彼を支えたいと考えていた。私ばかりが好きでいるし、彼のために努力していると思っていたが、彼も彼なりに私に好意を伝えてくれていたし、努力して歩み寄ってくれていた。
そんな当たり前のことがやっとわかった気がした。

大人になった彼に、どんなに努力しても私は一生敵わない

それからしばらくして、久々に大阪に帰ってきていた彼に会った。
当時は安いイタリアンの店で安いワインを飲んではすぐに「仕事を辞めて起業したい」と夢を語っていた彼は、高級イタリアンバーでワイングラスを眺めながら「会社にしてもらったことが大きいから、腰を据えて働く」と語った。
変わったなと思った。大人になったなと思った。「私も働いて、あの頃のあなたの気持ちがわかったんだよ」なんて話をしようとしていたことなんてどうでも良くなった。
まだ私は、この値段も書いていないワインの味だってわからない。私はこの人には一生敵わない。どんなに努力してもこの人と同じ道を歩く事も支える事もできない。

幸せは自分ばかり努力してると思った時点で見つからない。星が降る夜も眩しい朝も毎日やってくるわけでもないし、そんなの毎日起きてたらなんの有り難みもなくなってしまう。
雨が降って傘をさしてもらうことを期待してるような甘い考えでは社会では生きていけないし、そっと傘をさせるような最高のタイミングで側にいられるなんてそれこそ運命だ。だからこそ、運命を信じ、半分諦めながらもまた前を向いて喜んで明日も社会のコマの一つになるのだ。

歌詞の意味もわかってきた気がするが、私はまだまだ子どもなのだ

大人になった今、あの頃一生懸命調べて勉強して思い浮かべていた大人像とはそれほど変わらない。でも、本当に大人のことをわかるようになるのは、もう少し先のようにも思う。
年齢的には大人と呼ばれるようにはなったし、不満を募らせるだけだった歌詞の本当の意味もわかってきた気がする。でも経験も覚悟も実力も彼の足元にも及ばなかったように、私はまだまだ子どもなのだとも思う。