言葉が相手に届かず、小学生のように涙が止まらなかった大みそか

2022年でこうなりたい、というのは2021年の大みそかの日に決まってしまった。
私は昔から人の怒りを感じ取りビクビクとしてしまう性格で、なんともまあ生きづらい人生を現在進行形で歩んでいる。たとえそれが自分に向けられたものでなくとも、だ。
いつか自分もあんな風に怒られてしまうのではないか、とかよくない想像ばかり膨らませてしまって、うまく呼吸ができなくなる。心臓もうるさくなっていくのだ。
誰かがイライラしていると(主に身内)、それを和らげようと優しい言葉や共感の言葉を掛ける。この空気が嫌だからそういう、あまり得をしないことをしてしまうのだ。自分がされて嫌じゃないことをしていこうと決めてからは、こうして密かに頑張っている。
でも、大みそかの日はどうにもならなかった。その相手がお酒を飲んでいて、急によくわからない意見を言い出した。その場にいる全員、その言葉にクエスチョンマークが浮かんだはずだ。
めんどくさくなる空気を感じ取り、その意見を否定せず優しい口調でそれに返事をすると、どうしてだかわからないが責められているように感じたらしい。なぜ自分が責められなければならないのか、と強めの口調で言ってその場の空気は最悪になった。
なんとか、なんとか周りがそのあと静めてくれてその相手は静かになったものの、私はこっそりと目頭にぐっと力を込めていた。涙が出そうになったのだ。
でも耐えられそうになくてその場から静かに去り、隣の部屋でボロボロと泣いた。一人で、暗い部屋で。なんというかすごく嫌な時間だった。
自分がどれだけ優しい言葉で宥めても届かなかった。察してもくれなかった。ただみんなが笑って過ごしやすい空気を作りたかっただけなのに。
10分くらいは何をどうしても涙が止まってくれなくて、「どうして大みそかに泣いてるんだろう、自分だけ」と責めてさえしまった。今回は確実に自分は悪くなかったくせに、泣いている自分をひどく滑稽に思えていた。
大人になって泣くのはなんだか恥ずかしいことのように思えてしまう。自分の感情をコントロールできない人間だと思われてしまいそうだから。相手の機嫌もそれで悪くなってしまいそうだから、その場から去った。涙はあまりいい印象を持ってもらえることがない。
自分で止められない涙はどうすればいいだろう。心ではこの野郎と思っていても、時間がずれたように涙だけがボロボロと流れて止まらない。服の袖はべちゃべちゃになっていた。濡れて寒かった。
こういうことは昔から何度かあった。その度にもう泣くまいと思うのだが、栓が抜けたようにとめどなく溢れてしまう。
正直もう成人して数年は経っている。それなのに小学生のように泣いてしまうのが恥ずかしすぎて消えたくなる。最近やっと前向きになってきたっていうのに、それを阻むかのような出来事だった。
こういう風に泣いてしまうことに対して、解決法なんてないのかもしれない。
でもきっと、似た状況で思わず涙がこぼれてしまうこともあるだろう。せめて周りを嫌な気持ちにさせない自分になりたいと心から願う。
2022年こそ、自分が好きな自分になりたいと心から思うのだ。
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