幸せを感じたいのだ。心からの。じゃあ、私にとっての心からの幸せとはどんな時の事なんだろうか。
突然あれよあれよという間に、人と会う事が出来なくなってから、2年。今後の分からない不安とそれまで当たり前が通用しなくなった世界で、私と向き合った私の見つけた答えはとてもシンプルな感情だった。
誰かからの賞賛は、簡単に自分の特技を知り満足する方法
物心ついた頃にはもう、私の幸せは周囲にいる誰かからの賞賛と同じだった。
すごいね、さすが、そう言われる事こそが幸せだった。認めてもらえる事、自分では自分の特技が見つけられなかった私にとって、それはとても簡単に自分の特技を知り満足する方法だった。
だからその為に、たくさんの努力と我慢をした。テストで良い点数を取るためには勉強が必要で、勉強のためには時間が必要だ。綺麗だねって言ってもらえる体形には美味しい物も我慢したし、深夜に帰宅した後もスキンケアやストレッチは欠かせない。そういう努力とストイックな時間の先には賞賛があったし、努力を積み重ねていく事は過ごした時間を無駄なく積み上げていくようで好きだった。
でも、どんな事でも度を過ぎると毒になる。やる事ばかりが積み上げられて、いつしかその目的を忘れていた。また、そんな風に積み上げてきた努力の時間が、ほんの小さな気のゆるみで崩れていくのではないかという、不安との闘いでもあった。
人と会わない時間とSNSが教えてくれた、自分自身が楽しむこと
人と会わなくなると、それまでの賞賛の声は遠くなった。積み上げてきた物が正しいのか、評価をくれる誰かがいない私は終始不安だった。それに、何気なく覗いたSNSには、私よりもずっと才能に恵まれた人がたくさんいた。
たくさんの知識を持っている人、綺麗な容姿の人。知るはずのないたくさんの人と、その人が得意な一面を簡単に自分と比較できてしまうその場所は、ずっとすごい人で溢れていた。
どう努力しても私の時間では同じ場所にはたどり着けない。その現実で、努力では決して埋められない差がある事を知った。そんな風に現実と私を知らざるをえなくなった、一人の時間は私に、自分自身が楽しいと感じる事が大切である事を教えてくれた。
私がちゃんと幸せを感じる物を見つけるため、自分との関係を深めたい
私を賞賛してくれる誰かはいつも、私を幸せにはしてくれる訳ではない。小さなきっかけで離れていく事もあるし、もっとすごい人も簡単に見つかる世界なのだ。
自分を幸せにしてあげられる事、自分の幸せがどんな事にあるのかを知る事。幸せを感じるその時間は確かに、何かを積み上げるような未来への行動ではなくて、その瞬間だけの時間かもしれない。
でも、その時間はきっと未来のために必要なのだ。小さなゆるみでは崩れないくらいずっと深い場所で、私がちゃんと幸せを感じる物を見つけるために。自分を元気にしてあげられる美味しいご飯を作る事、身近で見過ごしてしまうような花や星の物語と一緒に四季を過ごす事。
まだもう少しだけ、自分と向き合うことが多くなりそうな今年は、そんな風に自分との関係を深めてあげたい。この先ずっと、一緒に歩いていく一番の友人として。