あと1ヶ月もすれば、卒業旅行のシーズン。友人とのLINEでは、行き先の模索が始まっていく。
北から南まで興味のある、観光地を列挙すれば、選定基準にもなるであろう、その土地に纏わる自分の体験談をみんな教えてくれる。

フランスに住んでいたとき、言語の習得ができなくても得られたもの

そんなとき、「実は北海道にも沖縄にも行ったことがない」というと驚かれる。北海道にも沖縄にも行ったことはないけれど、実は世界最小の国バチカンは訪れたことがある。きっと行ったことのある都道府県の数よりも、訪れたことのある国の方が多いのではないか。

なぜなら、私はエセ帰国子女だから。
幼少期にフランスに住んでいた。親の仕事の都合で、年長から現地の幼稚園に入園した。言語もコミュニケーションスキルも乏しい5歳の自分にとっては、猛烈なカルチャーショックだった。
当時はどうにか乗り切ったが、フランス語はもう喋れない。だから、「エセ」帰国子女。言語は習得できなかったけれど、それ以外に得られたことはあった。それが、旅との出会い。

慣れない未知の言語に励む日々の傍らで、休みになると親がいろんな場所に連れて行ってくれた。フランスには都道府県の概念はないけれど、EUという概念はあって。フランスを含め、大抵のEU加盟国内での行き来は自由なのだ。日本で国内旅行をするノリで、周りのヨーロッパを訪れていた。
もう15年以上も前のことなので、しっかりその国々の風景をはっきりと脳裏に蘇らせることは難しいけれど、思い返そうとすれば幸福な気持ちばかりが胸に残る。

私にとって「旅」とは、普段出会うことができない非日常を探すこと

そんな中でも、欠片として思い出せるのはバチカンの記憶。
イタリアとバチカンの国境前では手袋が売られていて、かじかんだ手を見かねた母が、私のために可愛らしいベージュのものを買ってくれた。指1本1本に顔がついていて、5人家族の手袋だった。
バチカンに足を踏み入れると、キラキラ光り輝く大きなお城があった。扉の前には、かっこいい騎士さん二人がお城をしっかりと守っていた。国を背負う人は、こういう重圧を背負っているのかと幼心に思ったことまで覚えている。

バチカンで見たあの風景は、私にとって旅の象徴で、きっと誰しもが体験する、旅へハマった瞬間だったのかもしれない。
私にとって「旅」とは、普段出会うことができない非日常を探すこと。絶対ここを訪れなければ、得られなかった感情。目にすることができなかった光景。あのとき、あの場所に、あの人といたからこそ、出会えた景色。感情。
それを探すために、私は旅をする。それを教えてくれたのが、私にとってはバチカンという場所だった。もしかすると友人にとっての北海道は、私にとってのバチカンなのかもしれない。
かといって、卒業旅行の行き先の候補にバチカンは入れられないのだけどね。

また旅を自由にできる平穏な日々を祈って、私は今日も日常を生きる

金銭的にも物理的にも、もう訪れることは難しいのかもしれない。海外はおろか、国内であっても旅が難しい時代になってしまった。
日々の暮らしも、捉え方によっては非日常なのかもしれないし、そう思えば旅の一部なのかもしれないけれど。人生を狂わすほどの、未知との遭遇は、やはり未知の場所でしか得られないと思っている。
また旅を自由にできる平穏な日々を祈って、今日もどうにか日常を生きていく。