2022年が明けた瞬間から、直感的に思っていることがある。「きっと、2022年は私の人生の岐路になる」って。
今までだって受験や就活などの岐路はあったけど、今年の選択は今までのようにはいかないと分かっている。だからこそ悩んでしまうのだろう。ありきたりだけど、私の悩みと宣言に関わる話を聞いて欲しい。
励ましの言葉で傷つき、決めた覚悟。憧れていた仕事に挑戦することに
「もりやまさんは優しいから、きっと、これからだよ」
これは、去年仕事で大きなミスをした時に言われた言葉。ミスをフォローしてくれた上司に言われて、なぜかとても傷ついた言葉だ。
普通なら傷つく言葉ではないことは分かっている。そのくらい、心がいっぱいいっぱいだった。
社会人になって3年。元々自己主張が控えめな人間だったのも相まってうまく職場に馴染めず、仕事もイマイチ。周りの同期や若手はうまく仕事をこなしているのに、私はどうしてこう、どんくさいのだろう。そもそもそこまで社交的な人間ではないのに、どうしてコミュニケーション能力を求められるこの仕事を選んでしまったのだろう。
仕事内容も多岐にわたっていて、苦手だと思うことも怒られながら失敗ばっかりしながらやるのが、とてもじゃないが耐えられなかった。
来る日も来る日もそんなことを考えながら過ごすうちに、心が歪んでいったのかもしれない。励ましの言葉で傷ついた時、私はとうとう覚悟を決めた。
仕事を変えたい。仕事を変えて、今度は気後れせずに自分が自分でいられる環境で働きたい
具体的に何がしたいかを考えた時に頭をよぎったのは、昔から憧れていた司書という仕事だった。
友人や家族にそのことを相談した。私が流されやすいようでいて頑固なのを知っているので、ああだこうだ言いながら、結局は応援してくれた。試験勉強も付け焼き刃とは分かっていたものの、必死で取り組んだ。
人生と向き合った岐路で感じた想いは、これからを生きる上で重要に…
結果は、一次試験のみ通過できた。二次試験は面接で、対策が不十分なところがあったから仕方ないことだった。ちょっとだけ行けるかもしれないと思っていた分、とても悔しい思いが残った。
今よりももっと自分に自信をもって仕事ができるように、今年こそ司書の試験に合格する。それが一つ目の私の宣言。
そして、仕事を変えたいと思ったころから、習い事をはじめた。当初、そこまで乗り気ではなかったのだけど友人に誘われてギターをやってみることになった。通っているうちにそのレッスンで知り合った人を好きになってしまった。きっかけは何気ない言葉だった。
「人に優しくされると不安でしょう? 君は僕に似ているからそんな気がする」
実際その人は、ところどころ私に似ていた。ちょっと不器用なところとか、人の言ったことをくよくよ考えてしまうだとか、好きな曲が同じだとか。そんな風に思っていた時に彼も同じように感じていたのが嬉しかった。
転職を考え始めた時の上司の言葉が脳裏をよぎった。他者の言葉を素直に受け取ることのできない自分のことをわかってもらえた気がして、そんな彼を愛おしく思えた。
大切な人と一緒にいる。これが二つ目の宣言。
全てがうまくいかなくても、岐路に向き合った自分を認めてあげよう
転職をすることも好きな人といることも私にとっては大切にしたいことなのだ。
でも、転職がうまくいけば、おそらく今住んでいるところから引っ越すことになる。彼と一緒にいるためには今後について話し合わないといけない。一緒にいて心地いいと思える関係性が変わってしまうのかもしれない。そう思うと少し怖い。そもそも、転職だってうまくいくとは限らない。
それでも、岐路に向き合って頑張った自分を認めてあげる。全てうまくいかなかったとしても行動したことを受け入れられるようにする。それが私の三つ目の宣言。
大晦日の自分は、どんな選択をして気持ちでいるのか今から楽しみにしておこうと思う。