2022年3月、私は現在在籍している修士課程を終え、4か月後の7月から海外の大学院で学ぶ予定だった。言語学から社会学への転身。もちろん不安はあったけど、それ以上に新生活への期待と楽しみに溢れていた。
就職には直接結びつかないだろう。それでも社会を少しでも良くするため、勉強に打ち込める恵まれた環境にいる者の義務として、アカデミックな世界にもう少し身を置こうと思っていた。
だから私の今年の宣言は、「必死に学ぶ」になるはずだった。

過去形で書いているのは、この宣言がもう少し先のものになりそうだからだ。

日に日に増していく吐き気。軽い気持ちで妊娠検査薬を使った結果は…

師走に入り、勉強の総仕上げに取り掛かろうと思っていた頃だった。なんだか吐き気が止まらない。
勉強中にガブガブと飲むコーヒーが原因かと思い、カフェインは封印した。行き詰まるとついつい手が伸びるタバコを辞めるべき時がきたかと考え、減煙を始めた。が、一向に吐き気は収まらない。それどころか日に日に吐き気は増していき、どこにいてもえずきまくるようになってしまった。
コーヒーもタバコも原因でないとなると、飲んでいるピルの副作用か。そう思って産婦人科を予約した。

産婦人科に行く朝、何の気なしに妊娠検査薬を使った。軽い気持ちで尿をかけ、そのままトイレに放置。着替えと化粧を終えた私は家を出る直前にそういえば、とトイレに戻った。

妊娠検査薬はくっきりと青い線を示していた。

0.1%の確率で妊娠。何度も迷って、散々泣いて、そして決めた

どういうこと?慌てて検査薬のパッケージと説明書を確認した。
陽性だった。ピルを飲んでいるのにどうして。
結果が信じられず、病院へ向かう途中で「妊娠検査薬 誤判定」とか「妊娠検査薬 エラー ピル」といったワードで検索をかけた。焦りで震える、という経験は初めてだった。

病院に着いてからもなお信じられなかった私は、問診にて助産師さんに「妊娠検査薬で陽性だったんですけど、ピルの副作用ですかね?」という、恐らく医療従事者からすると非常に頓珍漢な質問をした。
案の定、助産師さんは首をひねり、「そういったことはないけど……でもピル飲んでるんだもんね」と訝しみながらも、偽陽性の可能性があるとは言ってくれなかった。

医師に呼ばれ、「とりあえず検査してみようか」と診察台に上がった。そして言われた。
「妊娠してるね」
頭が真っ白になった、なんていうのはクリシェだけど、その時の感情はあまり記憶にない。

診察室に戻り、一生見ることのないと思っていたエコー写真を見せられた。
ピルを飲んでいたのにどうして?
医師は少しだけ気の毒そうに言った。
「100人に0.1人くらいいるの。ピルを飲んでても妊娠する人」
受験でも就活でもそんな希少な幸運に恵まれたことなんて一度もないのに、ここにきて0.1%に選ばれた訳だ。涙がじわっと出てくるのを感じたから、あわてて目頭を押さえた。

このタイミングで産むことなんかできない。そう思って手術の予約を入れたけど、手術日までに何度も迷って、散々泣いて、産むことと産まないこと、それぞれの決断をした人の経験談を読み漁った。

そして決めた。
子どもを産もう。
シングルだし、まだ学生だし、子どもは一生産まないと思っていたし、こんな混沌とした世の中で子育てをするのはすごく怖い。
だけど、少しずつ社会に対する信頼を育んで、私の元に来てくれた子を一生かけて守ろう。今でも時々不安で涙が出てくるけど、そう決めた。
幼くして父を亡くし、母子家庭で育った母は言ってくれた。
「シングルマザーは大変だと思うけど、シングルマザーに寄り添える学者になりなさい」

強くて優しい社会学者への第一歩。何が何でもやってみせる

入学予定だった大学院は、キャンパス内に複数の保育園があるそうだ。パンデミックが収まり子どもが少し成長したら、必ず勉強しに行くと決めている。

きっと社会学って弱者に寄り添うための学問だ。
自身が思いがけずシングルマザーとなることで見えてくるものもあるだろう。一度は中絶を考えたことで、子どもを産みたくても産めなかった女性の痛みに気づくこともできた。

私は今年、子どもを産み育てながらも勉強を続ける方法を模索しつつ、少しずつ経済的自立も目指す。困難な道であることは間違いないけど、何が何でもやってみせる。
強くて優しい社会学者への第一歩だ。
弱気になったらこのエッセイを何度でも読んで自身を鼓舞しよう。