朝を待って両親に電話をかけて、1時間泣き続けた。8時間の時差を超えて、私は両親に助けを求めた。
やっと予約できた関空行きの飛行機。しかし、問題は山積みで…
「すぐ帰ってきなさい。高くなってもええから」
父がそう言ってくれたから、電話を切った後すぐ、家へ帰るための飛行機を探した。航空券なんて本来ならば何ヶ月も前に買わなければならないのに、しかもコロナ禍ということもあって、チューリッヒ空港から関空へ行く飛行機を見つけるのは至難の業だった。
見つかった航空券は、朝の6時半発で、アムステルダムで6時間ほど乗り換え待ちをしなければならないという予定だった。それ以外で関西空港へ行く飛行機を見つけられなかったから、私は仕方なくそれを予約することにした。
しかし渡航の数日前、KLMオランダ航空からメールが届いた。
『オランダ国内での乗り換えには、入国72時間以内のPCR検査の陰性証明書と、入国4時間以内の迅速抗体検査の陰性証明書が必要になります』
という内容だった。困った。チューリッヒ空港のどのサイトを見ても、深夜に検査を受けられる施設があるという情報を見つけられなかったのだ。
スイスの友人に尋ねてみても、誰も情報を持っておらず、途方に暮れてKLMオランダ航空の公式チャットで相談してみることにした。KLMの職員の方も、チューリッヒ空港でのPCR検査についての情報を持たず、その代わりに別の便を提案してくれることになった。
無茶なお願いを両親へ。父は二つ返事で快諾。母も来てくれることに
その便は、フランスとオランダ乗り換えの関空着か、もしくはオランダ乗り換えの成田空港着だった。ちなみにどちらもPCR検査を普通の時間に受けられる時間だった。しかしその時フランスでは、海外からの渡航客の受け入れを拒否と、海外への渡航も一時的にストップしていたので、そこで選択肢は一つ消え、そして私はまた困った。
成田空港まで帰れたとしても、海外からの帰国者は入国から14日間は公共交通機関を使用することができないし、レンタカーで大阪まで一人で帰れるほどの運転技術もない。私はまた頭を抱え、両親に電話をかけた。
「関空じゃなくて、成田行きの飛行機しか乗られへんみたいやねんけど、迎えにきてくれるかな……」
なんて無茶なお願いかと、我ながら申し訳なかった。26歳になる娘が、50代後半の両親に頼むには酷だと、重々理解していたけれど、その時の私はもうこれ以上一人でスイスにいられなかった。父は二つ返事で、快諾してくれた。母も「覚悟してた」と二人来てくれることになった。
渡航当日、前日に予約していたチューリッヒ空港にある薬局で迅速抗体検査を受けた。結果は30分ほどで出て、その結果と72時間前に受けたPCR検査の陰性証明を持って、チェックインを済ませた。
空港出口で待ち構えてくれた両親が行ってくれた頼りになる言葉
オランダに到着すると、空港職員のような人が出口で待ち構えていて、全員の陰性証明書2通を確認していた。
無事に通過した私は、お店は全部しまっていて物々しい雰囲気のアムステルダム・スキポール空港を大急ぎで横切って出国手続きを済ませて、成田行きの飛行機に乗り込んだ。携帯には両親から前のりで東京に到着した、と連絡が入っていた。
飛行機に乗るのに、こんなに悲しい気持ちで乗ることは、この先あるだろうか。座席はポツポツとしか埋まっておらず、周りを見渡すと私の座る席の一列には誰一人として座っていない。CAさんたちはいつも以上に丁寧に接客をしてくれたので、おかげで随分心が慰められた。
そして成田空港に到着してからは、諸々の手続きが全て終わるまで3時間ほどかかり、ようやく陰性が確認されて出口に向かうと、両親が待ち構えていてくれた。
「新車で遠出するの初めてやったから、なんか楽しかったわ〜。富士山も見れたし!」
そう言って迎え入れてくれた母が、有難くてしょうがなかった。26歳にもなってこんな迷惑を両親にかけることになるとは、全く想像もできないことだったし、こんなにも頼りになる両親のもとに生まれてきたことに、ひたすら感謝したい。