幼いころから、「女の子」っぽくはなかった。
外を走り回り、木に登り、大声で騒いでいた。男の子と遊ぶこともしょっちゅうだったし、それでも体力は決して劣っていなかったと思う。

今でも、メイクは好きじゃないし、声は低いし、ヒールなんて嫌いだ。
それより何より、食については人一倍「女らしくない」と感じている。

食べることが大好きで、体重が増えようが多少であれば気にしない

食べることが大好きだ。三度の飯より○○が好きという言葉があるが、私にとって三度の飯より好きなものはない。そして、一般的な女性の食べる量では全く足りない。
食べ放題のお店に行くと、一緒に行った人からほぼ確実に「よく食べるね」と言われる。それで体重が増えようが、おなか周りが目立とうが、多少であればまったく気にしない。おいしいものをお腹いっぱい食べる幸せは、何にも代えがたい。

ひとりご飯にも全く抵抗がない。一人暮らしで会社もかなり少人数なので、基本的に食事は一人。おひとりさまが珍しいことではなくなったおかげもあり、格式の高いレストランとかは別にして、いろんなところに一人で行く。
二郎系ラーメン店に一人で入り、周りは男性しかいない中、幸せな気分で野菜マシマシのラーメンをほおばっているときは、さすがに女性らしくないなとふと我に返ることもある。

「痩せなきゃ」と女性に言わせる、痩せ体型至上主義の社会が嫌い

だからなのかはわからないが、「瘦せなきゃ」という言葉が大嫌いだ。それを口癖のように発している人、大して太っていないのに言う人に対しても嫌悪感を覚える。そして口癖のように「瘦せなきゃ~」と言う人ほど、数分後には新しくできたパンケーキ屋さんに行こうという話をしている。
きっとどちらも本音なんだろうけれど、瘦せなきゃと思わずに純粋にパンケーキを味わえる方がいいに決まっている。

そんなことを考えていると、嫌悪感を抱いている対象はその人ではなくて、それを女性に言わせている社会や固定観念なのかもしれないとも思う。
「瘦せなきゃ」と言っている人はいたって普通の体型だ。見えないところを本人は気にしているのかもしれないけれど、それは今の世の中が痩せ体型至上主義になりすぎているからじゃないかと思ってしまう。

美の基準なんて時代や国によって変わる。太古の日本では、元気な子供を産めそうなふっくらした女性が好まれ、逆に瘦せ細っている女性は敬遠されたというのに。
栄養状態や医療状態が全然違うというのはさておき、その世の中で「何がよしとされるか」なんて簡単に変わってしまってあてにならないのに、盲目的にそれを追い求めるのはどうなんだろう。もっと言うと、それを過剰に煽っているのはなんなんだろう。
ちなみに太古の日本のくだりは、私が食べすぎて妊婦さんのようなお腹になるときにいつも恋人から言われている。

街に尽きない外見に関する広告。何を押し付けられているんだろう 

痩せてなくてもいい。好きなものを好きなだけ食べていい。そんな考えが浸透していれば、どれだけの女性が苦しまなくて済むんだろう。
私は一切気にしていないし、今後代謝が落ちてきてしまっても「痩せなきゃ」に頭が支配されるようなことにはなりたくないと思っている。

電車に乗っても、スマホを見ていても、ダイエット、脱毛、化粧品など女性の見た目をよくするための広告が尽きない。何を押し付けられているんだろう、といつも思う。
自分がそうしたくてしているならまだしも、社会が、周りが、それを求めるなんて狂っている。けれど現代はそんな社会なんだと思ってしまう。

そんな社会の圧力になんぞ屈してやるもんかと思いながら、私は今日も一人で油そばを食べに行く。