大人になったな、と思う。昔は無邪気が取り柄のような子どもだったけれど、たくさんの経験と共に良くも悪くも、ちゃんと大人になってしまった。
精神年齢の一致した人だけが友達として周りに残っている
それは私に限っての話ではない。
高校時代の友人や、大学時代の友人も同じように歳を重ね、距離感の取り方だったり、話の内容だったり、生活リズムだったり。各々に変化が起こり、同じように歳を重ねた人だけ繋がり続けている。
残念なことに、歳を重ねる過程で、一気に相手の精神年齢が上がってしまったり、逆に10代のまま止まってしまったり、そんなこんなで合わなくなった人とは疎遠になり、精神年齢の一致した人だけが友達として私の周りに残っている。
自分がそうやって歳を重ねて大人になって思うことは、年齢はあくまで目安の数字だということ。
例えば、20歳になれば親と喧嘩することもなくなると思っていたけれど、28歳にして親に注意されてキレたと話す知り合いもいれば、もうこの歳になってケンカはね〜と話す人もいる。
年齢はあくまで目安の数字に過ぎない。大人になって気づいた
職場においてもそうだ。
50歳ぐらいのおじさんが「目上の人は敬え」と、お客さんに文句を言っている横で、成人式を迎えたばかりの子が、「仕事は仕事なので」と、迷惑極まりないクレーマーの対応を淡々と行ってくれたり。
40代半ばで実家住まいで、両親に養ってもらっていながら週3でアルバイトをして推しのアイドルに全財産を貢ぐ知り合いもいれば、20代半ばで仕事で大成し、親に迷惑をかけたからと恩返しを終えた知り合いもいる。
大人だから気分屋が治るわけでもないし、若いから考えが浅いわけではない。20代でも大人として成り立っている子もいれば、自分の父親ほどの年齢でも子どものような発言をする人もいる。
様々な人たちと話し、見てきた結果、年齢はあくまでその人が生きてきた時間の目安であって、それが中身として伴っているとは限らない。
大人になる為には、それにふさわしい努力と経験が必要なのだ
若い子たちがよくいう、「○○歳になればこんなことが出来るようになって」なんて話はただの妄想で、それが出来るようになる為には、それなりの経験とそれなりの頑張りを、その目標年齢までに積んでおかなければならない。
苦労の多い人生は確かに辛いけれど、苦労を知っている人間は早く大人になることができるし、その分必ず後々いいことが待っている。あくまで私はそう思う。
だから私は理想の30歳や理想の40歳を迎える為に、様々な壁に自ら激突して、その経験を踏まえた上で強く美しい年の重ね方をしたいと思うし、○○歳にはこんな大人になっていたいな。
そう思う子がいるのであれば、そうなるように自ら行動しなければ、○○歳なったらみんながみんな、そんな風になれるわけではないのだと。大人になる為には大人になる為の努力と経験が必要なのだと伝えたい。