目に涙が溜まっているのが分かった。表面張力がゆるまないように目を大きく見開いて、まばたきができず痛かった。
「鈴木さん、休憩しておいで」
と上司が声をかけてくれたので、私はお辞儀だけしてフロアを立ち去った。

マクドナルドに駆けこんで食べたポテトLとファンタグレープの炭酸が身体に沁みた。
規則通りの休憩を終えて、私はまたデスクに戻った。ヘッドセットマイクを頭につけて、通話待機ボタンを押した。深呼吸をしながら、目を大きく見開きながら、退勤時間まで電話を受け続けた。
何度もクレームを入れていたお客様だったらしい。たくさん支社があるはずのコールセンターで働いていた私は、当たりくじを引いてしまった。
働き始めて3ヶ月ほど、やっと業務を覚えてきた頃だった。手に余るクレームに私は対応できなかった。それだけの話だ。

布団から出られず、涙が止まらない。私は無断欠勤をしてしまった

翌朝、仕事に行かなければと思った。朝、起きて布団から出られなかった。涙が止まらなかった。どうしたらいいのか分からなかった。私はそのまま眠ることにした。自分が不甲斐なくて悲しかった。
次の朝、私はもっと困っていた。無断欠勤をしてしまって、職場の人は怒っているに違いない。休んだことを謝らなければ。
でも、今日も涙は止まらない。また職場に行けない。どうしよう、どうしよう、と思いながら、1週間たったように思う。もうよく覚えていない。

電話がかかってきたのか、自分からかけたのか、今となっては分からないが、
「大丈夫だった? 心配したよ」
「ゆっくり休んで、それから考えてごらんよ」
と上司は言った。私は布団に横たわりながらそれを聞いていた。時間をもらったのだと、それだけは理解できた。

若干の鬱状態だったのだと思う。元々生活リズムも崩れやすかったし、精神的に不安定になることもあったが、こんな風に過ごすことはなかった。
毎日お腹だけはすくから、コンビニで買い溜めたカップ麺にお湯を注いではすすった。食べるうちに少し元気が出てきて、お風呂に入れるようになった。コンビニの先のスーパーに行くことができた。短い動画を見て笑った。

泣いている人間がなんの役に立つんだよ!2週間休んで、辞職を決めた

2週間、ゆっくり休んだ。約束の日はもうすぐだった。仕事に行くのを想像した。机に座って、ヘッドセットマイクをつける、ことを考えるとまだ涙が出た。わっと悲しみが体中に広がって、横になるしかできなかった。

時間がきた。私は会社に電話をかけた。
「申し訳ありません、よく考えたんですけれども、辞職させてください」
「わかりました。デスクに置いてた資料やファイルは取りに来れそう?こちらで処分もできるけど……」
「そちらで処分してください。本当にありがとうございました」
私は開放された。

生活も気持ちも落ち着いた今、思い返すことができるのはこれだけだ。涙が止まらなくなってしまう引き金って本当にあるのだなと知った。

たぶん、どんなに末端の仕事であっても、小さな責任がその席にある限り、仕事を急に辞めてしまうことはいろんな人に迷惑をかける行為なのだと分かってはいる。だから苦しむのだ。

けれど今はとても幸せだ。お礼とお詫びを言えなかった職場の人たちに、電話で対応してくれた上司に、申しわけない気持ちはあるけれど、もう開き直ってしまった。
泣いている人間が職場にいてなんの役に立つんだよ!いないほうがマシだろ!
私だってそう思うので、にこにこしておうちで寝て過ごします!

できるだけ穏やかに。悲しみに支配されないよう、自分で対処を

あのまま、上司に時間をもらえずに、また職場に行くことになっていたら、私はどうなっていただろう。想像してみる。

明日から職場に行きますね、と約束しておきながら体が動かない悔しさに泣いたかもしれない。布団を出られたとしても、気持ちが重いまま脚を遅らせ、泣きながら遅刻をするはめになったかもしれない。運良く時間どおりに職場に到着したとしても、変更されたドアロックの解除コードが分からずに泣いたかもしれない。たまたま同僚と出くわしてデスクに座れたとしても、お客様の声を聞けばクレームがリフレインして泣きだしてしまったかもしれない。
私が自分のコントロールができなくなるときは、たいていが悲しみに支配されるときだ。悲しみが体に広がると、私は体と気持ちの支配権を失う。

本当に、本当に申し訳ない。でも、できるだけ穏やかにすごしたい。後悔もしていない。これから同じことがあれば、泣きだしてしまう前に同じ対処をするだろう。

悲しくて泣いてしまうような場所からは距離をとっておきたい。どんな理由であったとしても――それが「自分の資料を処分する」という理由だったとしても、もう一度職場に行ってしまっていたら、笑ったり野菜を食べたりする生活に戻る時間はずっと長くかかっていたと思う。

考える時間をもらえて、資料を処分してもらえて、辞められて、本当に良かった。上司には特別、感謝をしている。