昔から「女性に対して年齢を聞くのは失礼にあたる」と、映画でも実生活でもよく言われ続けている。とくに初対面の女性に聞くなどご法度中のご法度、最悪の場合セクハラの罪を着せられかねない。
大多数の人が、年齢を聞かれたり知られることに対してある種の嫌悪感を抱くということは、もうそれは共有されるべき大人社会のルール、常識なのだ。そして年齢の話題を嫌がるのは、男性よりも圧倒的に女性が多い。

気付けば少女の心のままアラサーになっていた

心は恋する少女のままなのに、気付けば通称アラサーだった。と言う女性が私の周りにもたくさん居る。主観と客観のギャップを受け入れる心の準備もできないままに、ただ数字だけで何かを判断されるのかしら。という不安が付き纏うそうだ。

思春期を過ぎた頃から「そんな周りの目なんか気にせず、年齢はただの数字じゃない。気にする方がかっこ悪い」と思っていた私も、気付けば少女の心のままアラサーになっていた。そう。私自身がピーターパン症候群だったのだ。

日本のバラエティ番組でもタレントの名前表記の最後にご丁寧に(年齢)が記されているのをよく目にする。その情報が何の指標になるのかは不明だったけれど、確かに「え、この人40歳には見えない!」とか「50歳でこのお肌は美魔女だね。」と、無意識に「魔女狩り」をしていた。そして多分、きっと、近い将来私もその魔女たちの一員になるべく奮闘するのだと思う。仲の良い同世代の友人たちも、薬局コスメをデパコスに変えたり、ジムに通って筋トレしたり、どうにか「ただの数字」に抗うべく、俗に言うアンチエイジングに励んでいる。

綺麗でいるための努力を惜しまない姿勢を見て感動する

アラサーになった私は今、そういう女性たちを見てとてもかっこいいと思うのだ。それと同時に、どうしようもなく美しくて可愛いと思う。決して馬鹿にしたり、批判しているわけではなく、むしろ心からリスペクトしている。あらゆる年代の女性にはそれぞれ異なる美しさがあると思うけれど、何もしなくてもお肌つるつるの10代、20代前半の女性よりも魅力的に感じる。
昔は「アンチエイジングなんかしてかっこ悪い」とさえ思っていたのに。「いつまでも綺麗でいたい」と思う気持ちに年齢や性別は関係ないのだ。綺麗でいるための努力を惜しまない姿勢を見て感動する気持ちは、甲子園出場を目指して日々鍛錬を積む高校球児を見て美しいと思う気持ちと、辿る心のルートはとても類似していると思う。

とある漫画に「どうして神様は私たちにまず若さと美しさを与え、そして奪うんでしょう?」という台詞がある。確かに正直なところ、時間が経つに連れて綺麗になっていくシステムが良かったとは思う。けれど、もしそうだったら見た目だけの美しさとは別次元の、「時を重ねて、努力というスパイスを練りこんだ得体の知れない美しさや、そこから醸し出される大人の色気オーラ」を知ることはできなかったと思う。女という生き物は、いつまでも、どこまでも健気で愛おしい生き物なのだ。

男も女も違うから惹かれあうのだろうけど、違いすぎても疲れる

最後に、私個人の素朴な疑問を曝そう。この手の「アンチエイジング」の「話題は、主に女性に焦点を当てているケースが多い。けれど「大人の社会」に仲間入りして思ったことは、男性はほぼ漏れなくピーターパン症候群だということ。
熱を入れる対象は人により千差万別だけれど、自動車だったり音楽だったり映画だったり、はたまた女性だったりする。性格も小学生の頃から根本的には変わっていない人が多かった。何だろう。無意識にアンチエイジングしてるというか、心の時が止まっているのかという人に出会うことさえある。

男も女も違うから惹かれあうのだろうけど、違いすぎても疲れる。ちょうどいい差異、もしくはそのギャップさえも許容できるパートナーを見つけることも、綺麗で居続けるために有益なステップなのかも知れない。