ひとりでも生きていける。自分で働いてお金を稼いで、ひとりで生活する。私はそんな考えが人一倍強かった。
私はひとりっ子だからか、小さい頃から読書やピアノなど1人でやる趣味が多かった。親が仕事で忙しいからか、料理や洗濯など身の回りの事が出来ていた。
性格なのか、誰かに頼りたいと思うこともなかった。その上、「寂しい」という感情さえも私には備わっていなかった。

当時は大学3年生。両立させるという目標は、想像以上に高い壁だった

結婚願望は全くなく、周りの友達からも絶対結婚しない人として私の名前が挙げられていた。
人生は何が起こるか分からないもので、3年付き合った彼と20歳で結婚をし、21歳で出産をした。
早すぎる結婚に私は反対されるのを覚悟していた。
が、私のおばあちゃんは「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い。この人だと決めたのならそれでいい」と、中島敦の「山月記」の言葉を引用して私に伝えた。
夫の家族も結婚に賛成してくれた。

当時大学3年生だった私は、絶対に大学を卒業する、休学・退学はしないと決めていた。
当然、大学と子育ての両立は避けられなかった。
出産前に掲げた、両立の目標の前に立つと想像以上に高い壁だった。
産後で疲れ切った体、夜泣きをする子供、慣れない子育て、積み重なる課題、行かなければいけない授業。
どれも手を抜いてはいけない。でも、気づかぬ内に体から魂が抜けていた。

目覚めると夫がお世話。大きな腕で持つ哺乳瓶は、とても小さく見えた

ある日、私は死んだように眠った。
子供の大きな泣き声で起こされることもない程だった。
本当は泣き声は聞こえていた。早く起き上がって抱っこしなきゃ、ミルクあげなきゃ、オムツ替えなきゃ。そんな思いとは裏腹に、私の体は起き上がることも、寝転んだまま子供を撫でることも出来なかった。

ハッと目が覚めると夫が子供のお世話をしていた。
「ごめん。寝てた。ありがとう」と私が言うと。
「何で謝るの?俺の子供なんだから」と小声で言いながら、大きな腕で持つ哺乳瓶はとても小さく見えた。

私は親になって初めて涙が目から溢れた。
色んな感情が心の中で雑多になっていた。
自分でやると決意したのに、出来なかった事。
子供を大事にしたいと思っていても、泣かせっぱなしにした事。
誰にも頼らず頑張れると思っていたのに、夫に頼ってしまった事。

程よく、自分でやり切らない事を決めるのも必要だと知った

泣いている私に夫は「ひとりで何でも出来る所を好きになったんじゃない。子供が好きじゃない事ぐらい分かっている」と言った。
実際、きょうだいもおらず、いとこらも年上だったため、私は小さい子の面倒を見るのに慣れていなかった。その事を夫は気づいていたのだ。
きっと周りの人達は私よりも私の事を知っているのだろう。
幸いにも夫は子供好きで、出社や勤務時間がない仕事だったので、子育てに参加するのが他の家庭より可能だった。

その日から私は、苦手な事は人に公言するようにしている。
だからやらない、のではなく、頑張るけれど手を貸して欲しいという不器用な私の表現方法なのだ。

人は自分が思っているよりも優しく、自分が頼られたら助けるのに、なぜか自分だけは頼っていけないと思い込んでしまう。
疲れ切った自分にならないためにも、程よく自分でやり切らない事を決めるのも必要なんだと知った。

あの小さかった我が子はもう時期園児になり、下の子もひとりで歩く様になった。
そして私も、少しは大きくなった。