気づけば、自他ともにもう「女子」とは言えない年齢になった。
45歳になって起こった変化は、外出自粛、フルタイムの在宅勤務、小1の壁。
ほとんど家から出られない生活を送り、家事と育児、仕事を一手にこなす女となった。
それを望んだわけではないけれど、女が家にいると、こうまで「役割をこなす道具」と化するものなのか。時間に追われながら日々生活していると、自分の時間はどんどん失われていった。

そんな日々を送りながら、あっという間に迎えた夏。この時期に受けた健康診断では、ことごとく再検査に引っかかった。わたしは「もう若くはない」という現実とも向き合わなくてはならなくなった。
幸い、再検査をして結果はすべて問題なし。健康のありがたさに改めて感謝することとなった。
しかし、体型の変化は数値となってあらわれた。その容赦ないことと……。

今まで着ていた服が似合わなくなり、ファッション更年期到来

そういえば……ここ数年、今まで着ていた服が似合わなくなってきていた。出かける際に鏡をみて、何か違う?と感じて、着替える。何回も着替える。
この時間の無駄に気づき、夜になって、クローゼットの前に正座して断捨離を決行してみると、でるわでるわ着られない服。サイズアウトのものもあれば、色味が似合わない、丈感が違う、素材感が今の自分に合わない……などなど。理由をつけたらきりがない。
俗にいうファッション更年期というものが、私にもすでに到来していたのだ。

そうこうして季節は秋。娘の七五三となる。
どんな写真を撮ろうか?娘の横で、和服姿でにっこり笑うお母さん?
3歳の時には和服姿で、親子で写真を撮った。しかし、今のわたしには自分が和服姿で写真を撮ることが想像つかなかった。
きっとそれが「あるべき姿」「わきまえた女」の証明写真のようでつまらなく思えたのだろう。今の日常への抵抗からだったのかもしれない。
そして、わたしは娘と一緒に写真を撮らず、しかしながら7歳の母のわたしの記念になる写真を撮ろうと決めた。

母ではなく今の「わたし」を残すため、裸の写真を撮ることに決めた

どんな写真を撮ろうか??わたしは、健康である私自身の姿を写真に残すことにした。そうして、自分の裸の写真を撮ることに決めた。
7歳児の母ではなく、今の「わたし」を選んだのだ。
決めたら思いが揺らがないうちに、今のありのままの自分を撮ってもらえそうなフォトグラファーをネットで探した。予約して、渋谷のスタジオに向かった。その日のためにダイエットもしなかった。下着も特別に新調しなかった。ただいつも通り、ありのままの姿で向かった。丸腰だった。

フォトグラファーに会い、
「わたし、なぜここにたどり着いたか、なぜこんな写真を撮ってもらおうと思ったか上手く説明ができないんですけど、ありのままでいいですか?あと、加工もしなくていいです」
と言ったことを覚えている。メイクをし、撮影が始まると、フォトグラファーがポーズを指定した。ヨガのようなポーズ。普段意識しない自分の筋肉にも必死で呼びかけた。数時間後、フォトグラファーと私の二人三脚で作り上げた作品ができた。
撮影後は、二人でジェンダーや能、芸術について数時間話しこんだ。わたしの選んだフォトグラファーは知的で本当に素敵な大人の女性だった。

西洋画の裸婦像のような写真を見ながら、これもありだと笑みがでた

完成した写真を見ながら、自分の姿に驚く。
西洋画の裸婦像のような写真。裸で黒革のジャケットを羽織る写真。複数のパターンの写真を見ながら、どれもありだと笑みがでた。そして、これからは若さを取り戻そうとするのではなく、自己受容して変化していくと決めた。
若さを保ち続けよ、良妻賢母であれ、家事も育児も仕事もこなして笑顔であれ。
こういった世の中の呪縛から自分自身を解放する。自分の未来は自分がつくる。意識の変化は、きっと何かをきっかけに、何かを捨てたりしないと得られないのかもしれない。わたしの場合、あれもこれもたくさんは要らない。手放して残ったものが必要なもの、価値のあるもの。そして服だけでなく、人、もの、情報などもその対象になっていくにちがいないと感じている。
捨てると楽になるし、結構自由でいい。
年齢に応じて変化も愉しむ。 
でも、時々ちょっとだけ新しいものを入れていくと、きっと愉しい。   

「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。 ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。 初心と申すはこのころの事なり」(世阿弥『風姿花伝』)

ようやく、この意味がわかるような女になった。