「お金がない」は自尊心を守るための言い訳として最適だ。つい最近この言い訳を使う機会があった。

先日、いつものように朝のニュースを流し見していたら、突然知っている声が聞こえてきた。え?と思ってテレビの画面をちゃんと見ると、大手企業のCMが流れていて、中学校の同級生が出演していた。それも主人公で。

芸能人として実績を重ねる彼女に感じた、感服の気持ちとひがみ

彼女の女優活動はネットで間接的に知っていた。美人なだけでなく美的センスも抜群で、人気者だった彼女。高校卒業後、彼女は上京して舞台女優になったらしいよ、と同級生から噂で聞いた。
気になって彼女の名前を検索すると、すぐに彼女のSNSのアカウントが出てきて、次の出演舞台を宣伝する投稿が見れた。

それ以降、ふと彼女を思い出して検索する度、芸能人の卵として着々と実績を重ねていることが見てとれる投稿が年々増えていった。これは大物になるのではという予感はしていたけれど、約10年経ちアラサーになって、ついにテレビに出るとは。しかも大手企業のCMに。
彼女の爽やかな笑顔は、そのまま朝ドラヒロインになれるんじゃないの?と思うほど眩しくて魅力的だった。

ガツン!と頭を打たれたような感覚で、その日は全く仕事が手につかなかった。素直に「やっぱり彼女はすごい!かっこいい!」と感服する気持ちと、「悔しい。羨ましい」と成功を僻む気持ち。葛藤が止まらず、苦しくてたまらなかった。苦しみを和らげるために真っ先に思いついた言い訳が「私にはお金がないから仕方ない」だ。

消極的に母に告げた夢は、予想通りの反応で、現実的に諭されもした

私にも芸能の世界に憧れた時期がある。
子どもの頃からダンスが大好きで、クラシックバレエ、ジャズダンス、社交ダンスとジャンルを変えながらも大学生まで続けたので、このままダンスを仕事にできたらと密かに思っていたのだ。

大学2年生の冬「就活をしないでプロダンサーを目指そうかな」と冗談っぽく母に話してみた。まあ反対されるでしょうと消極的な構えで。もちろん予想通りの反応が返ってきた。
「大学に入れるくらい勉強できるんだから、収入の安定した職業に就いてよ。ダンサーでは将来食べていけないかもしれないよ」
母らしい愛情の込もった心配だった。

「うちはお金持ちじゃないから、まみちゃんがダンサーになるためにお金を貸したり仕送りしたりできないよ」と現実的に諭されもした。親の反対を押し切る情熱など端からない私は、傷付きもせず「そうだよね」とあっさり受け入れた。

我ながら凡人のテンプレートのようなエピソードだ。
女優になった彼女と凡人の私の違いは、お金の有無なんかじゃない。持って生まれた天分。それを信じて自分の才能を引き出す分析力。努力を重ねる根気強さ。必ず大物になってやるという負けん気。
彼女はそういう能力を兼ね備えていて、私にはない。それが事実だと薄々、いや本当ははっきり分かっていながら、「お金がない」を言い訳に選んだ。

「能力がない」よりも「お金がない」を言い訳にして、自分を正当化

「能力がない」ではなく「お金がない」のほうが、都合よく自分を正当化できるから。自分の身の程をちゃんと理解していますよ。お金の心配をさせない親孝行な娘ですよ。チャラチャラした都会人に憧れたりせず、田舎の素朴な良さを知っていて、地元で就職して地域貢献してますよ。

私は堅実な女なんですよ、と。挑戦せずリスクを背負わなければ失敗もない。自分の魅力のなさや能力のなさを測らずにいられる。自分が凡人だという事実を直視せずにすむ。自分に絶望せずにすむ。だから「お金がない」は好都合な言い訳だ。

それにしても、本来のお金の機能を考えれば、あればあるほどいい物のはずなのに「ない」ことで自尊心を守っているなんて。高飛車で、お金の苦労を知らない、お嬢様な思考回路だ。

まあでも誰にも迷惑かけてないし、ある意味上手くお金を活用できてるんじゃないの。そんな皮肉なんだか慰めなんだか分からないことを思いながら、今日も彼女のCMを眺めている。