あの日に戻れたら、きっと私は何もしない。過去は変えず、ただ日々が過ぎるのと同じように、雲が流れるのと同じように、自然に身を任せて生きるだろう。
それでは、何も今と変わらない。でも、それでいいのだ。私はただ、あの時の自分を、すこしだけ味わいたいだけなのだ。写真を見るだけでは思い出せない、私の彩りをすこしだけ感じたいだけなのだ。

ダンスグランプリを撮った日は私の誕生日。全ダンサーが祝ってくれた

あの日、それは2017年の8月。ブルガリアのダンスコンクールに出場してグランプリを獲った時だ。
その日は私の誕生日だったんだ。私の誕生日は毎回夏休み真っ只中で、いつも家族とだけお祝いしていた。その日は、その年だけは、コンクールに参加した全ダンサーが私の誕生日を祝ってくれた。
もちろん、日本人なんて私しかいなかった。ロシアや、ルーマニアからの出場者が、流暢ではない英語で、ハッピーバースディと言ってくれた。私もにこにこして、サンキューと拙い英語で答えた。
こんなに私の誕生日が盛大に祝われたのは、コンクールでグランプリを獲ったからだろう。

私は無名の、日本から来たダンサーだった。
出場している他のダンサーたちは、真珠みたいな綺麗な白い肌で、海の底みたいな青い目をして、にっこりと微笑めば、妖精みたいな人ばかりだった。手足がすらっとして長く、バネのある強くしなやかな脚は、彼女達の魅力を際立たせた。そんな彼女達に気圧されていた私を支えたのは、ダンスへの想いと努力だった。

自分の身体で表現するため全力で向き合う。ダンスが私の、すべて

17時間。これは、1日の私の練習時間だ。朝からスタジオにこもって、友人とも会わず、私はただひたすらに、自分の体に向き合ってきた。
私が踊ったのは、自殺を考えている少女が、葛藤に苦しむ心情を描いたものだった。役作りとトレーニングのために、ダイエットを行い、身長160cmの私の体重は35kgだった。

絶望の表情と苦しみの心情を自分の身体で表現するのは、たやすいことではなかった。でも、誰にだって苦しむ時はある。明日なんて来なければいいと思う時だってある。それでも、それでも、みんな毎日生きている。それを意識して、私は全力でダンスに向き合った。

ダンスが私の、すべてだった。
大好きだった。舞台に立つときにしかつけないファンデーションの匂い。板付の前の暗転の沈黙の瞬間。ライトがついた瞬間。大好きだったんだ、全部。
私はあの頃に戻りたい。当たり前に舞台に立ってその幸せを、感覚をたぎらせていたあの頃に。踊り終わって、敵でも味方でもないはずの観客が、涙を流してブラボーと言ってくれる(本当に言う人はごく一部だが)瞬間。わたしは生きてきてよかったと思うのだ。

拒食、過食、ダイエット。生きるのに必死で何をしているか分からない

でも、今となってそれを味わうことはできない。私は、あんなに大好きだったダンスをやめた。

やめた理由は、摂食障害になったことだ。ダンスのため身を削っていた私は、カロリーを著しく制限した生活を送っていた。何度か栄養失調で倒れた。

拒食になった後は、過食になった。私は、食べたくて食べたくてたまらなくなっていた。電車の広告、友達の会話、チラシ、食べ物の話題が耳に入ると頭痛がするようになった。お昼休み、みんなとご飯を食べるのがいやで、みんなのご飯が羨ましくて、会話ができなくなってしまった私は、トイレでご飯を食べることが多かった。家でも、ダイエットに協力してくれていた家族に隠れて、バター、蜂蜜、なんでも貪っていた。

学校に行くのがしんどくて、一度だけ学校をサボった。その日はヒートテックにサウナスーツを着込み、表参道をひたすら歩いて痩せようとした。今考えると、何をしているのか訳がわからない。それでも、その時の私は生きるのに必死だった。

あの頃に戻れたら、何もしない。あの感覚を自分の中に焼き付けたい

そんな私は、踊ることを楽しく思えなくなってしまった。あの大好きな感覚が、どうでも良く思えた。それで私は、ダンスをやめた。

後悔はない。私は今、別の道を歩んでいるし、ダンスをやめたからこそ出会えた素晴らしい人達と一緒に、充実した毎日を過ごしている。
それでも、たまに、すこしだけ、あの頃に戻りたいと思うんだ。あの頃に戻って、すこしだけでいいからあの感覚が大好きだった自分を、感じたい。写真では思い出せない。音楽を聴いても頭に浮かぶのは映像だけ。五感で、感じたい。

だから、私はあの頃に戻れたら、何もしない。ただ全身の感覚を研ぎ澄まして、もっとあの感覚を自分の中に焼き付けたい。