倹約が好きだ。
好きというか、もはや遺伝子に組み込まれているといっても過言ではない。
例えば、私は近所にある3軒のスーパーで、どの商品がどのタイミングで最も安くなるかを察知することができる。
もしくはあらゆる決済アプリが時たまやっているポイント還元キャンペーンの情報も、つねにキャッチアップできるように仕組み化しているし、すべての決済の時にクレジットカードやQR決済、非接触型決済含めて、どの決済方法が最も還元率が高いかを瞬時に判断することができる。
そんな私が今までの人生の中で「あれはお得だったな」というエピソードについて書きたいと思う。
最高に美味しい食事は、「記憶」でご飯が食べられる
持論がある。「美味しい食事というのは、その後の人生で、その美味しい食事の記憶で何度もご飯を食べることができるから実質0円」。
人生ではじめて回らない寿司屋で1万円の寿司のコースを食べた。これが非常に満足度の高い体験だった。
記念すべき回らない寿司屋は、四ツ谷の上品な小料理屋が立ち並ぶ路地裏にあった。上品な小料理屋が立ち並ぶ路地裏なんて、人生で初めて訪れた。
寿司屋に入ると、テレビで観るようなテンプレートの東京のサラリーマンがたくさんいた。雰囲気は完璧だ。
そして、びっくりした。寿司職人が目の前で握った寿司を板みたいなやつの上にちょいと置いて、それを食べるのだけど、アーティストのライブみたいで面白かった。そして、寿司って美味しいんだなあ。マグロなんて、ネタが柔らかくて甘くて、しんとした米とかっちりピースがはまって、素晴らしいハーモニーだった。お互いを引き立て合うとはこういうことだと思う。
たぶん、私はこれからもずっと、この寿司のことを思い出すのだろう。家でひとりで卵かけご飯を食べている時も、仕事の昼休みにカップラーメンをすすっている時も、この寿司の記憶できっと少しだけリッチな気持ちでご飯を食べるのだと思う。
スーパーの2倍以上するコンビニアイスを、迷わず手にとったあの日
4月のある日、コンビニで雪見だいふくを買った。倹約家の私にとって、コンビニでアイスを買うなんてことは暴挙である。近所の激安スーパーだったら60〜70円の雪見だいふく、コンビニでは150円。2倍以上だ。
私は夜中に急にアイスが食べたくなるという人間の本能的な欲求に、70円を余計に払いたくないという倹約精神が勝つような人間だ。万が一、何かの気の迷いで夜中にコンビニでアイスを買ってしまったら、きっと後悔で味がしないと思う。
そんな私が、コンビニで買った雪見だいふくを鞄に押し込んで、走っていた。
病院の立体駐車場を走り抜けて、きれいに整備された庭に入ると、ガラス越しに以前よりだいぶ痩せた父が座っているのが見えた。
「雪見だいふく、走って買いに行ってきたよ」
息を切らしながら得意げに叫んだ。
父は末期癌だった。見つかった時はもう手遅れだった。
そんな父が雪見だいふくを食べたいと言っている。主治医から外部の人との面会を禁じられている父は、雪見だいふくのために病院を抜け出してきていた。
父は背中を丸めて一瞬で雪見だいふくを平らげていた。
病院から家に帰ってきたあと、父からLINEがきていた。
「雪見だいふく、うまかった」
ありがとう、がないのが父らしい。
あの雪見だいふくは、私から父への恩返しだった
今になって思う。あの時走ったのは自分のためだったと。
物心ついてから父と過ごした10年と少しを思い返す。私は父に何かしてあげることができただろうか。
私たちは仲の良い親子ではなかった。私は無口な父が少し苦手ですらあった。18で実家を出てから、たまに帰っても少しだけしか話さない。
甘えていた。いつか恩返しできたらいいなと思っていた。いつでもできるだろうと、思っていた。いつかはこなかった。
ふと父にしてあげられたことは何かを考えると、あの日の雪見だいふくのことを思い出す。
あのとき、迷わず走ってよかった。コンビニで買うアイスの高さにびびらず、颯爽と買えてよかった。
ほんとうに「お得な」お金の使い方だったと思う。