価値観の共有と、押し付けは違うという考え方を持っている

私はわきまえない女だ。
「女性だからお茶出しは当たり前」
「女性だから家のことを手伝うのは当たり前」
「女性だから身なりに気をつけるのは当たり前」
挙げるとキリがないが、私はやれる人がやれば良いと思うし、でもやらないよりはやった方が良いとは思う。
でも言い方次第。伝え方次第。
「女だから」「長女だから」「嫁にはいけない」
全部、全部。一言余計だ。

どうして人は優しくできないんだろう。どうして男尊女卑なんてできてしまったんだろう。
どうして男女平等という言葉が生まれたのに……。どうして生きづらい世の中なんだろうと考えてしまう。

ありがたいことに私の母親は強要することはなかった。
将来独り立ちした時に何もできない自分が困るから、親が教えようとしているのは正しいとは思っている。
私の考え方や価値観などは、同世代を見ていてもよく聞く女性特有の考え方ではないなぁと色んな人と話していて思う。
「自分は自分。あなたはあなた。自分の価値観は他の人の価値観とは違う。共有するのと押し付けるのは違う」
そんな考え方を持っている。

ダサい男に嫌味たらしく指図されて動くなんて反吐がでる

冒頭にも記載はしたが、私は「わきまえない女」だ。
でも、時にわきまえる必要もある。私の場合は、わきまえるだけでは終わらない。相手をコントロールするのだ。女性を下に置き自分が優位に立ちたい人ほど、中身は空っぽのただただダサいプライドを守りたいだけの男。
そんな男に嫌味たらしく指図されて動くなんて反吐がでる。
そんな私は、周りの人を味方につけて優位に立つように行動するのだ。

ここで気を付けていく大切なポイントがある。
「悪口で終わらせてはいけない」
ちゃんと「自分はこう思ってこうしているのですけど、難しいものですよね……」と少し自分の思っていることと頑張っている姿勢を出すこと。
これができるのは女の特権だと思う。
わきまえない女だけど、わきまえるように振る舞いつつもわきまえない。
それが私のやり方。

男女平等やセクハラ発言につながるご時世だから、昔に比べて、「結婚しないのか」「家事はできないといけない」とか自分のことを棚に上げて話すようなおじさん方は減ってきたと思う。男性は基本的に女性に甘いと思うから上手くいくことが多い。
私が一番厄介だと思っているのは「女性」だ。同性だからこそ厄介。相手をコントロールできるのは男性だけだと思う。同性は難しい。

同性だからこそ分かり合えると思っているのに、悲しい世の中

化粧をしないと「すっぴんで来たの?やばー!化粧しないの?」と言うし、服を着ると「それ似合ってなくない?もうちょっとちゃんとしなよ!」と言うし、料理をしないと「料理できないとかやば〜い」と言うし、彼氏がいないと「え〜彼氏いないの?やばくない?理想が高いからだよ!」と挙げたらキリがない。
自分らしく自分がしたいように生きているのに、アドバイスを求めてもいないのに勝手に個人の価値観で査定され、いらないアドバイス。
同性ほど女性に対する評価は厳しいように感じてしまう

もしかしたらそれは私だけかもしれない。
私からしたら貴女の方ができていない方が多いのに、流されて生きているような人にどうして私の外見のこと・性格のこと・恋愛の仕方のこと、何もかも言われないといけないんだろう。
私には男性からよりも女性の方が「女性だからこそしないといけないことをあなたもやりなさい」と押し付けられているなと思う機会がある。
私の大事な友達はそんなことはしない(私が押しつけられるのをとことん嫌うことをわかっているのかもしれないが)。
同性だからこそ分かり合えると思っているのに悲しい世の中だ。

もしかしたら私が、傷つく言葉を言っているかもしれない。
相手のことについて話すときは、言葉を選んで尊重していることが伝わるように接していく「わきまえない女」になる。
「わきまえない女」は身勝手なわがままな女のイメージにならないことを願う。
平等な社会が日本にも世界にも訪れますように。