それは、周りとのズレを示されたときだった。
別に、それほど恵まれない人生だとは思っていない。
なんだかんだ言って小中高と仲の良い友達はいたし、いじめられたり家族が不仲だったわけでもない。

恵まれていない人生じゃない。強いて言うなら、うちはお金がなかった

ただ、強いて言うならうちはお金がなかった。
生まれたときから祖父母と両親の5人暮らしで、祖父母にも両親にも、まあそれなりには可愛がってもらえていたのだろう。

祖父母はどっちも身体が悪くて、排泄なんかにも介護が必要だった。
両親は共働きで祖父母もそんな具合だったから、持ち家に住んでいたとはいえ大したお金もたまりはしなかったのだろうな、と今は思う。

そのうち、小学生低学年の頃には祖父母が亡くなって、そして中学に上がれば持ち家だったアパートの水道タンクが壊れた。
アパート用のものだからか修理費に一括20万円かかるらしく、それが用意できないからと空き家になっていた2階の部屋からポリタンクに水を汲んで、住んでいた3階に流し入れて暮らす生活だ。

飲水は流石にペットボトルを買ったけれど、トイレはそうやって溜めた水で節約しながら使っていたので、悪臭もした。
やがて高校生に上がると、そんな状況に耐えかねたのか離婚した母親に連れられて、2人で賃貸に移った。

かけがえのない思い出と友達。でも、私が歩みを止めた理由って…

それでも元々お金もなかったから、私もアルバイトをして微々たるものだが家計を支えようと頑張る。
部活動もしていたから、どちらも中途半端ではあったけれど、今でも高校生活……特に部活動の思い出はかけがえのないものだと今でも胸を張って言えるものだ。

部活仲間だった友達たちとも、高校を卒業して働いていた今も良く遊びに行く。
けれど、私が歩みを止めたのも、その友達たちの影響が強いのかもしれない。

元々部活動をしながらアルバイトをしていたのは私だけだったけれど、やはり大学に進まず就職を選ばされたのも私だけだった。

選んだのは介護の仕事だ。
高校生のうちに資格を取っていたから、有利だろうと思って選んだもの。
職場の先輩も、勿論同い年なんていなかった。一番歳が近くても10個は年が上だった。
最初のうちは「今までと何も変わらない。ただ、私はみんなより少し早かっただけ」と思っていたけれど。

価値観屋認識の違いで、かけがえのない思い出たちは霞んでいった

世間がコロナ禍になって、母も、そして離婚していた父も職を失った。
そうか、それならば無駄遣いも出来ないし怪我にも気をつけなければと一層気を張った。
そんな中でも友達は相変わらず私を遊びに誘ってくれたから、息抜きに出かけることもよくあった。

だけど、遊べば遊ぶほど、真綿で首を絞められているような気になってしまっていた。
「朝まで飲み歩いたらナンパされて困った」とか「ブランド物が欲しいのにお年玉7万しかもらえなかった」とか、そういう悩みごとの相談、或いは愚痴なんかは最悪だ。

「一体どこからそんなに遊び呆けていられるお金が出てくるの」
「私はこんなに働いて家庭のためにと頑張っているのに、お前たちはそんな馬鹿みたいな日々を繰り返してるのね」
そうやって問い詰めてやりたかったけれど、結局家庭ごとの財力の差でしかないし仕方ない。

彼女たちにとっては一大事だし、私にとってはくだらない話。
ただ価値観が、認識が違っただけ。
でも、ただそれだけのことで、かけがえのない思い出だったハズのそれらが霞んでしまった。

だから私は、その小さなズレの積み重ねで歩みを止めた。
もういいやと思って、働くのもやめた。
今は傷病手当金で暮らしているけれど、進む勇気が持てない。
願わくばこんな些細なことで心を折られる人が減りますように。