「これ、大学卒業したでしょ。ここのところ、家に帰れていなかったから」
MBAを卒業してから実家に一度も帰っていなかった私が、かれこれ1年半ぶりに帰省した時のことである。
母親から「お兄ちゃんにも引っ越しとかで渡したし、あなたも大学院を卒業したし」と20万円をほいと渡された。
「いらない」
「いいから」
そういって手渡されたなんとも重たい現金。
時間を空けて私は泣いて頭を下げた。
「お願い。このお金を受け取りたくない。頼むからやめて」

学費を出した親からの「教員免許」の重圧。4年間カウンセリングに

お金を受け取らなかった理由の1つが、「自費で学費を完投する」という自分の夢のためだった。
学部時代の大学は、親の「奨学金は借金」の名の下に、学費を出してもらう形で入学した。
成績が云々、は当然だったわけだが、一言言われた「教員免許とるよね」これがめちゃくちゃ重たかった。

教員免許のおかげさまで単位数は大変なことになった。
いじめられっ子だった私の精神が確実にちぎれるタイプの授業ばかりだった。
先の教育実習についても別の話が積もるほどある。

4年間カウンセリングに通った。教職の授業はほぼ毎週、シーズンに1回トラウマをざくざく掘り起こされているようなものだったので、いじめられていたことや辛かったことをぼろぼろとカウンセラーの先生に泣きながら話しまくってやっと人の形状を保っていた。
ただ、「親がお金を出してくれたから、無下にできない」の一言で、足枷というか丁寧な呪いにかかったように、ひどい時は精神科等のお世話になりながら生活をした。

やりたい勉強を我慢して教職の授業をとった。
休みたくても休んじゃいけない。相性の悪い先生に当たってしまった時、「講義ブッチしよ」とか「履修消してきた」とかそういうことができなかった。最悪な時は、嫌な授業に週1で出るために精神科に週1、カウンセリングに週1、自分の気持ちの整理で1日、どれだけ燃費が悪かったのだろう。本当にしんどかった。
ただ、そこまでして勤勉を尽くした結果、卒論で賞をとったり、学内の推薦をとったりするまでに至った末、別の大学院にロンダリングした。
そこでもまぁいろいろあったが、学費を払ってもらいつつ、とりあえずやりたいことを消化させた。

しかし、その時、自分の中で夢が生まれた。
それは「いろんなことを気にしないで学生生活を送る」というものだった。
学費を出してくれた時の親は「スポンサー」である。
スポンサー契約を切られたら大学生は当然できなかったし、感謝している。
教員免許、絶対に優秀な成績等のスポンサーの意向は、基本厳守されるべきものであった。
悪いことではなかったが、重いものであった。私はそれをガン無視したかったのだ。

「スポンサー」の親はいらない。自費で通ったMBA生活

社会人になって数年後、ある時、MBAに入学した。当然大変だった。
しかし、一番大きかったことは、学費が自分の完投だったことだ。
親からのプレッシャー、絶対に取らなきゃいけない免許はない。
相性が極端に悪い先生や、数回受けて見て興味がなかったら履修を取り消して、別の時間に当てる。
友達と情報を交換する。
教職の授業で夜が遅くなりすぎることもない。
みんな一律で終わって、ちょっとご飯を食べる。
図書館で、気になる本を開く。じっくりレポートをやる。
忙しかったことやコロナの影響から後半はほとんどオンラインになってしまったが、そういったやってみたかったことを一通り消化できた。小さかったが学会にも出れた。

成績はいわゆる特筆優秀でもない「普通」だった。
しかし、満足だった。
いわゆる、監督が自分の好みと偏見だけで作った映画や原作の世界。
そんな空間のような学生生活だった。
20代の社会人の通帳から学費が出ていくのは少し懐が痛い部分もあったが、最後の学費が納入され、通帳に書かれた時、修士論文の発表も控えていたが、自分の中で「エンディングクレジットの用意はもうできてるんだな」と思った。

それくらい自己資金の大学はしんどかったが心地が良かった。心の底から成仏できると思った。
クレジットの配給先は私が100%だ。好きに演じて、好きなことができた。ちょっとコケても仕方あるまい。その証だと思った。
両親への感謝は修論の謝辞で書いた。今回はスポンサーではなく「特別出演」くらいの気持ちだったのだ。

お金はありがたいもの。でも「意地」と「自由」ががかかっているもの 

そんなわけで、今回、祝金とか、賞金とか、そういうのを抜きにして、学費というスポンサー、クレジットをよぎるような要素に一切入っていただかないことを切に私はお願いする形となった。

薄給の私にお金は有難いものだ。現金をもらえるとなれば「ラッキー」って普通ならもらう。ありがとうってもらう。学校関連以外の名義だったら素直にもらっていただろう。

ただ今回は。今回だけは勝手が違った。提供・私100%。その私の中でずっと欲しかった、素敵な私の人生の物語の一節、スポンサー欄のクレジットにいてほしくなかったのだ。
完投した学費は、私のちょっとひもじい思いも含めて意地とか、自由とかがかかっていたわけだから。
拒否した時ちょっと怒られたけれど、もらわなくて良かったと切に思う。そしてごめんなさい。スポンサー契約の意向があうときは頼らせてくれ。

「お金はあればいい」というのは世の正論ではある。世の中を渡り歩く必需品である。
しかし自分の「自由」として、そして自分が背負う「責任」を表現する形あるものとしていてくれた「お金」は、私にとってはある種、尊いものであり、人生を彩るもの。

人生を映画とするならば、お金は直接的な製作費なのだろう。ただし高い費用をかければ必ずしもいい映画が作れるわけではない。まぁあればそのぶんいいものが作りやすいというものではあるのだけれど。
私はスポンサーとしては非常に物足りない配給先だが、自分の人生において、応援できるスポンサーであり、主役でありたい、なんて思ったりするのだ。