祖母からの電話に周りの音が遠のく。私の母はあと3カ月で死ぬらしい

祖母から電話を受けたとき、私は大学の最寄り駅で2~3分間隔に来るいつもの電車を待っていた。ホームには人がたくさんいてうるさいはずなのに、まるで水中にいるみたいに音が遠のいて、私はただ「わかった、明日の飛行機で帰る」とだけ伝えて電話を切った。

――3か月。私の母はあと3カ月で死ぬらしい。

大学2年生の夏だった。

実家のある山形までは飛行機で1時間。
高校までの荷物も部屋もすべてそのままだから、ハンドバッグ一つで空港に降りた。
140センチしかない祖母は、決して人が多いとは言えない空港のロビーの中でも紛れてしまう。やっと見つけた彼女は年末に帰省した時よりさらに小さくなっているように思われた。

身体に似合わない6人乗りのセレナの運転席によじのぼると、祖母は慣れた手つきで車を出した。淡々とした調子で、母の癌がもうどうしようもないほど体に広がっていること、本人に余命の話はしていないこと、自分の足で病院に行ってそのまま入院になったことを教えてくれた。
空港から街へ向かう道路は白っぽくまぶしくて、薄く開けた窓から入りこむセミの鳴き声がばかみたいにうるさかった。

日々は恐ろしいほど穏やかに、けれど決して止まることなく進んでいく

「ひさしぶり」
母は思いのほかはっきりとした口調で、病室に現れた私に言った。
相変わらずやせていて髪の毛は一本もなかったけれど、見慣れないばりばりとした病院着を着ていたけれど、それは間違いなく私の母だった。
ぎゅっと目頭に力をいれてこみ上げてきたものを押し殺すと、「テスト終わったから早めの夏休み取ってきちゃった」と言って荷物をおろした。
嘘だった。前期のテストは全て放り出してきた。

そうして私は毎日病院に通った。
日々は恐ろしいほど穏やかに、けれど決して止まることなく進んでいった。

「おはよう、お母さん」
昼頃に目を覚ました母にいつものように声を掛けた。7月が終わり、夏は本番に差しかかっていた。
毎日クーラーの効いた病室にいるせいか、全く実感はなかったけれど。
母は何度かゆっくり瞬きをすると目を細めた。寝ている間に乾いてしまった母の唇が小さく動く。
「久しぶりだね、帰ってきてたの?」
目頭がかっと熱くなって、胸が内側から膨らむのを感じた。
ぐっと喉に力をいれて一度瞬きをする。我慢しろ、私。
「うん」
やっとそれだけ絞り出すと、私は全力を振り絞って口角を持ち上げた。

祖母に返事をしようと口を開いた途端、泣くのを止められなかった

夜の国道は両脇を田んぼに挟まれているせいか真っ暗で、等間隔に設置された街頭に照らし出された道路だけが浮き上がって見える。私は助手席に座り、流れていく他の車のテールランプを眺めていた。
母が寝ている間に祖母と私で夕食をとりに出たのだった。毎日病院のコンビニ食では元気が出ないと祖母が言い出したのだ。私は別にどうでもよかった。

「何食べたい?なんでも好きなもの、食べさせてあげる」

祖母に言われ、私は何か言わなくてはと口を開いた。口を開いたら、喉の奥でぐうと変な音がして、それからなんだかもう止まらなくなって涙が出た。
慌てて唇を噛んでこらえようとしても、とてつもない強さで何か私の中から飛び出していこうとして、うぐ、とか、ぐぐぐ、とか言いながら私はついに声をあげて泣いた。

祖母は黙って前を見ていた。

余命の電話を受けたときも泣かなかった。
母の腕に刺さった何本もの管を見ても泣かなかった。
死ぬのが怖いと泣いた母の背中を撫でる時だって泣かなかった。
それなのに。
子どもみたいにしゃくりあげて、鼻水を手の甲で拭いながら、頬までぐしょぐしょに濡らして、私は泣いた。セレナの固い壁と走行音が私を守っていた。

祖母はその間、何も言わなかった。
ただ、静かにどこまでも車を走らせてくれた。
低く、柔らかな車の振動と祖母の優しい沈黙の中で私はいつまでも泣いた。