成人式も、大学の卒業式も、就職して実家を離れ一人で上京した時も、結婚式でさえ、私は両親に伝えていなかった言葉がある。
「私をこの世に迎え入れてくれて、育ててくれて、ありがとう」
なんと薄情な娘だと思われるだろうか。よっぽど両親と不仲なのかと疑われるかもしれない。
しかし、実際の理由は異なるところにある。
「箱入り娘」な私。心はいつも両親とぴったりくっついていた
幼い頃から私は両親から寵愛され、ときに他人から「過保護の箱入り娘」と呼ばれるほどに大切に大切に育てられてきた。
おなかが空いたらいつでも美味しいごはんが出てきて、怪我をしたらすぐに手当てをしてくれて、悲しくなれば抱きしめてくれて、私の身に起きる全てのことから両親は守ってくれていた。
だから、私の心は何歳になっても両親とぴったりくっついていた。人生の節目を迎えようと、生活拠点が離れようと、苗字が変わろうと、心がぴったりくっついている間はいつでも両親の「大事な娘」という物心ついた頃の状態のままだった。
結婚式から一年ほど経過した頃、私の妊娠が判明した。マンションの床もトイレも血混じりの吐瀉物だらけで10キロ以上体重が減るほど辛い悪阻に苦しみながらも、自分のおなかの中に赤ちゃんが宿っているという事実は不思議なパワーをもち、あたたかな幸福感を味わう日々を送っていた。
早く会いたいな。
どんな顔で、どんな声で、これからどんな思い出を作っていけるのだろう。
楽しみだな。
まだ見ぬ我が子との将来を想像しておなかを撫でているうちに、ふと頭の中の映像が、自分がおなかの中にいる画に切り替わった。
私も、こうやって羊水に浮かんでいたのか。
母も父も、こうやっておなかを撫でて私を待ち遠しく思ってくれていたのか。
命のバトンをつなぐ場所にいる。心がそっと独り立ちした瞬間
当たり前のことだが、自分もこれからは親の立場になるという認識が、はっきりとした輪郭を持ち始めた。
私も最初は赤ちゃんだったが、いつまでも赤ちゃんではない。
そこから少しずつ大きくなって、心も体も成長して、命のバトンを次の世代へ繋いでいく立場に、今の私は立っているのか。
親とぴったりくっついていた心が、そっと切り離れて一人立ちした瞬間だった。
心が遠くへ離れるわけではない。
いつでもそばに寄り添う気持ちはそのままに、寄りかかっていた姿勢を正して自力でしっかりと立つということ。
今まで両親から贈られてきた沢山の愛を、今度は私がおなかの子に贈る番がきた。
そう実感すると同時に、今まで何も考えずひたすら受け取ってきた両親からの愛は決して当たり前のものではなく、深く感謝したいという気持ちがおなかの底からむくむくと湧いてきた。
初めの両親への手紙。「子育ては大成功した」と泣く母
その勢いのままにレターセットを部屋の奥から探しだした私は、生まれて初めて両親へ手紙を書いた。今までの嬉しかったことや感謝していることを思いおこしながらペンを走らせ続けていると、あっという間に便箋5枚の超大作になった。
最後の一文に、一番伝えたかった思いをゆっくりと記す。
「私をこの世に迎え入れてくれて、育ててくれて、ありがとう」
手紙が届いたと母から電話を受けた時、母はこちらが驚くほどに何度も何度も涙声でありがとうと言い続けた。
成人式も結婚式も明るく笑っていた母が泣いている。
なんと言葉をかけたらいいか分からず黙っていると、
「あなたは、大人になったんだね。寂しいけど、これで私達の子育ては大成功で終了したってことよね。嬉しいわ」
涙まじりの明るい声が聞こえてきた。
そうか、私はやっと自らの手で、両親からの卒業式を行ったのか。
いまだに母の手料理が恋しいし、父のバイクの後ろに乗りたいし、真っ暗で寒いマンションに帰ると実家の柔らかな玄関灯とストーブの匂いを思いだし涙する日もある。仕事で理不尽な思いに押し潰されそうな時に心の中で両親を呼んでしまうこともある。まだまだ未熟で弱くて半人前だけど、両親からの卒業式という、大人への儀式を、ひとつ済ますことは出来た。
親の立場からすれば、なんと喜ばしく、そして切ない儀式だろうか。
イヤイヤ期真っ只中でスーパーの床に倒れ込み泣き叫ぶ娘をなんとかなだめながら「どうか早く成長してくれ」と天を仰ぎ祈り続ける私でも、やがて来る未来の卒業式を思うと胸が張り裂けそうなほど苦しくなる。
それでも、そうやって赤ちゃんは大人になり、命のリレーが続いてきた。
私達の子育ては大成功だと泣きながら笑える日が来ることを楽しみにして、今日も家族と生きていこう。