珍しいと言われるが、私は東京に出たくて出てきたタイプではなかった。就職で地元に帰ると言うと、せっかく出てきたのになんで?とよく言われた。
大学受験の結果で出ざるを得なかったから出てきただけだった。
志望校は周りから凄いねと言われる某大学。問題は東京にあること
私は周りにいわゆる天才秀才に囲まれるような地方では有名な高校に通っていた。みんながそうであったように私も周りから凄いねと言われる某大学を目指した。初めて受けた模試はC判定。頑張れば行けなくもない位置にいた。
その大学には一つだけ問題点があった。東京にあることだ。行くには必ず地元を出て、一人暮らしをしなくてはならない。地元の友人にも気安くは会えなくなる。そう思うと辛くて寂しくて、毎日のように、実家から東京へ通う方法を模索した。そんな様子を父は家から通うなんて冗談だろと笑っていた。でも私にとっては切実な問題だった。
私は中学受験の時、自分で言うのも何だが、かなり勉強のできた方だったと思う。偏差値80や全国1位もザラだった。私はそのことを当時は自慢にも思っていなかった。敵は昨日の自分。取り憑かれたように毎日勉強していた。
勉強をし続けると面白い現象が起きた。計算を間違えていると、なんか間違えている気がする、と感覚でわかるようになった。まるで写真のように参考書を覚えられ、何年の第何回の何ページのどのあたりに書いてあるかわかるようになった。問題を見ただけで、正答率が見える。スポーツ選手でいう、ゾーンというものだった気がする。
多くのものを失った時、連絡を取り、毎日夢に出てくるのは地元の友人
一方で、私はこの期間、多くのものを失った。友人と遊ぶことはできなかったし、きみわるがった男子たちにいじめられたり、拒食症になってご飯が食べられなくなったりした。
満を辞して入った第一志望校だったが、そこでも同級生との折り合いが合わなかった。私は毎日とある夢を見た。地元の友人と、進学した中学の校舎で遊んでいる夢だ。
寂しくなると、地元の友人に連絡を取った。彼女たちは私のことを頭がいいね、ではなく、優しいね、と言ってくれた。家柄や頭の良さを自慢することもなかった。なによりもほんの些細な気遣いのできる子たちだった。近所の人たちは、制服姿を喜んでくれたし、元気?と声をかけてくれた。私の学校帰りを、実家の前で待ってくれていることもあった。中学が変わったのに、小学校時代と変わらぬ温かさだった。ただ学校楽しい?と言われると心がキュッとつままれるような心地がした。
勉強は何の意味があるんだろう。成績は落ち、合格圏内の大学もE判定
勉強って何の意味があるんだろう。そう思うのは自然な流れだった。もう頑張れない、これ以上成績でピリピリしたくない、何よりも地元にいたい。地元の大学に進もう、そう決意したその瞬間、成績が面白いほどに落ちた。昔だったら余裕で合格できていた大学もE判定になった。
「E判定で受かると思ってるのかな、みんな〇〇大学行きたがってるけど最近レベル落としたよね」
私の葛藤を知らない高校の友人は心ないことを言い出した。他人や自分を傷つけることはなかったが、何を目的に生きればいいのかわからなくなった。
成績が落ちるとバカにされるんだ、と身にしみてわかった。カウンセラーの先生にも、他の大学でも楽しいよ、と言われたし、担任にもこの成績じゃ、と言われた。
そんな言葉、どれだけ聞いても高校時代の私に刺さるわけがなかった。
なんとか大学に合格した。近所の人たちは私を見かけると、おめでとう、と声をかけてくれた。田舎の噂は回るのが早い。しかし、地元の大学には進めず、上京をせざるを得なくなった。
地元ではすごいと言われた高校名も、東京では、ただの田舎の高校だと言われた。成績はよくてもサークルやバイトの仕事はこなせず、強く当たられる経験をたくさんした。優しいね、と言われた性格は、東京ではバカにされる。こんなことは初めてだった。
私は毎日のように泣き、毎日のように地元の友人と電話をした。地元の友人は、早くこっちに戻っておいで、そう言ってくれた。
あれだけやったことを後悔した勉強に、取り憑かれたように頼っている
ある時、私は能力のなさに酷く落ち込み、長い療養を取ることになった。ふと高校のフェイスブックを見ると、後輩が世界的にもものすごい業績を残していた。
そういえば高校時代は高校名を言うだけで、私がプライドの高いヤバい人間だと認識してくれていた。そして、そういう人への対処法は周りも知っていたのか、私に強く言う人はいなかったし、バカにする人もいなかった。できていないことに笑顔で救いの手を伸ばしてくれる人もいた。おそらく、みんな優秀で心が広かったんじゃないか、そう思う。
こんなすごい高校にいたんだな、そして私もその一員だったんだな。
そう思うと少しずつ生きる力を取り戻し、憧れの職に内定をいただけるまでに回復した。
自分は優秀なんだ、これが最近の口癖だ。あれだけやってきたことを後悔した勉強に、私は今取り憑かれたように頼っている。地元に帰るよ、そういうと、近所の人や地元の友人は喜んでくれた。でも私の価値観が変わってしまっていた。
誰も私の就職先を知らず、すごいね、という今一番欲しい言葉を言ってくれる人はなかなかいない。昔なら帰ってくることを喜んでくれるだけで嬉しかったかもしれない。私は何かを失ってしまったみたいだ。
今の私を嫌がったのだろう、私は地元の友人を1人失った。何かに頼ることは何かを失うこと。地元の人たちが地域一帯で育ててくれたことを感謝することを忘れず、何にどれだけ頼るのか、折り合いの付け方を私は学ぶ必要がある。