「おい、ねーちゃんノーブラか!?」
夏の昼下がりの商店街で、通りすがりのおじさんが大きな声で発したその一言に周りの人が皆振り返り、私は一瞬にして注目の的になった。
それは、2020年8月のことだった。新型コロナウイルスの影響で3月から外出を自粛しており、5ヶ月ぶりに友達と地元の商店街で待ち合わせをして合流した直後のこと。
懐かしい顔との再会を喜んでいたのも束の間、知らない白いタンクトップを着たおじさんにいきなり大声で叫ばれた。
商店街に響き渡る無神経な声に抱いた嫌悪感
その日私が着ていたのは、ユニクロのブラタンクトップ。ブラタンクトップなのでもちろん中にカップがついているからノーブラではないし、もし仮にノーブラだったとしても、そんなことをわざわざ街中で叫ぶのは失礼極まりないことである。
おじさんに叫ばれた直後の私は、いきなり町中の注目を浴びてしまった恥ずかしさと、自分のファッションを否定されたような悲しさ、そして女性を馬鹿にしたような下品な発言に対する怒りと嫌悪感が混ざってなんとも言えない気持ちになっていた。
祖父の一言で、自分の部屋の鏡の前でだけおしゃれを楽しむようになった私
しかし、女性のファッションに対するこのような議論は今に始まったことではない。
私が小学生のとき、外出先でおへそを出した、いわゆるヘソだしファッションをしているお姉さんを見た祖父が「だらしないねぇ」と言ったことを今でもよく覚えている。
当時の私は幼いながらに20代のお姉さんたちがへそ出しファッションをしているのをかっこいいと思っていたし、だからこそ、家の中では祖父に見つからないように、自分の部屋の鏡の前でTシャツを少し捲ってみたりしていた。
そんなふうに、家族や周りの目を気にして、自分の部屋の鏡の前でしか自分の好きなファッションをできなかった私が、たとえ罵声を浴びようとも自分の好きな服を好きなように着るようになったのは大学に入ってからだ。
個性が輝く環境で、自分の好きなファッションで毎日を過ごす
8年前の当時私が通っていた大学は、帰国子女や留学生が多く通う大学で、さまざまなファッションをしている学生が多かった。へそ出しやタンクトップはもちろんのこと、スウェットやパジャマのような格好から、これからパーティーに行くのかと思うほど綺麗なワンピースを着ている人もいた。
そんな環境だったから、私がどんな格好をしようが目立つことはなく、また私の服を褒めてくれる人こそいても、批判したり罵倒したりしてくる人はいなかった。
今思えばそれは至極当然のマナーだし、そんなことをわざわざ考えなくても、大学内ではごく自然とそのマナーが守られていた。そして、誰と比べるでも、誰と合わせるでもなく、私は自分の好きな格好で毎日大学に通っていた。
女性を「守る」ために見えない圧力をかける社会への提言
そうして、気づけば大学での4年が過ぎ、そしてそこから更に4年が過ぎ今の私に至る。
今の私は周りに迷惑がかからない程度に自分のファッションを楽しんでいるが、それでも冒頭のおじさんのように罵声を浴びせられることがある。
「女性が着てはいけない服/格好」が明確に世の中にあるわけではないにも関わらず、社会には女性のファッションに対する見えない圧力が存在する。
確かに、周りとの不必要な衝突を避け、自分の身を守るためには、周りから浮かない服を着るという選択肢もあるが、それは一人一人の女性が自分らしくいるための個性の一つを失うことにも等しい。
周りから浮かないように目立たないようにすることを通して女性の身を守る社会か、はたまた女性一人一人の個性を受け入れるマナーを持った社会か。
私は後者の社会で生きていきたい。