同じ景色が見えていると思っていた彼の悪気ない一言に、心がざわつく
「女子は、働くのと専業主婦になるの選べるからいいよね」と男友達に言われた。彼とはよく将来について真剣に語り合っていたので、同じ景色が見えていると思っていた。だからこそ、会話の流れで自然と出た悪気のないその一言に、心がざわついた。
大学1年生の時のことだ。私は、将来の仕事に関してあれこれと考えていた。
起業してみたい。大手の商社に入ってバリバリ働いてみたい。あるいは、専門家になれる資格を取るのもいいかもしれない。
どれを捨ててどれを選ぶのか、頭を悩ませていた。入学早々そんなことを考えている人は少数派であったため、メイクやインスタ映えに敏感な大半の女子たちとは話が合わなかった。
そんな時に出会ったのが彼である。
彼は知的好奇心が旺盛で、旅を好む人だった。物事を考えるスケールが大きくて、それゆえに、社会に出てからのことも必然的に彼の関心のうちにあった。彼となら、どんな働き方をしたいとか、どういう生き方をしたいとか、下手したら「意識高い系」と揶揄されてしまいそうな話題も安心してできた。
そんないつもの語らいの場で彼の口から出た言葉が、「女子は選べるからいいいよね」だったのだ。
「働く」の一択しかない私は、選べるとしたらどっちを選ぶんだろう
私には、「働く」の一択しかなかった。ないと思っていた。だから、彼の言葉を聞いた時、選んだ自覚のなかった私は、想定外の発言に驚かされた。今まで働くことを前提に彼と意気投合してきたのに、突然その前提を崩されたのだ。
じゃあこれまでの会話は、「好んで働く」私と、「働くしかない」彼とのやりとりだったのか。私の将来に対する悩みは、単に自ら苦労を買って出ているだけのような気がして、なんだか急に滑稽に感じ出した。
家に帰って考えた。彼が言うように「選べる」としたら、私はどっちを選ぶんだろう。
それでも私は経済的に自立したい。自分の夢や希望を叶えるためにお金を使いたい。もし家族ができたら、パートナーや子供に不自由なく生活をさせてあげられるだけの収入を得ていたい。
女だから働かなくてもいいやなんて微塵も思わなくて、何度考えてもやっぱり私は「働く」を選択した。私以外の女性の多くも、同じ思考を辿って同じ選択をする(した)のではないだろうか。
となると、「女子は選べる」とは言いがたいのではないだろうか。それを、「好んで働くんでしょ?」と捉えられてしまうのは納得がいかない。
彼が抱える悩みも分かるから、私は彼を責められない
しかし、私は彼を責められない。彼は、長男として将来的には家業を継がなくてはならないかもしれないと言っていた。
最近では、女性が家業を継ぐ例も見かけるが、まだまだ長男が継ぐという風潮は根強い。仮に家業を継がなかったとしても、彼は「一家の大黒柱として」それなりの収入を得なくてはならないのが現実だろう。
そんな悩みは確かに男性特有のもので、いくら女性の社会進出が進んでいるからと言っても、男女を全く同じように考えるのは現実に即していない。
社会的地位に責任は付き物だ。だから、社会的な地位が高いのが男性ならば、多くの責任を抱えるのもまた男性なのである。
彼は、「男だから稼がなくてはならない」という重圧からあんなことを口にしたのだろう。もしかしたら、女に生まれていたらもっと楽だったのにとすら感じていたのかもしれない。だから、私は彼を責められない。
男女平等という建前とそうでない現状の狭間で、彼も私も苦しんでいた
彼だけじゃない、異性をうらやんでしまったのは。
私も、本当は男に生まれたかった。男性としてキャリアを追い求めて、社会と広く繋がって、ダイナミックなビジネスの世界で活躍したかった。だから私は、男女は社会において本当に平等で、同じように働くのが当たり前なんだと信じたくて、男女差を明確にした彼の言葉を、すんなりとは受け入れられなかったのだ。
女に生まれたかった男と、男に生まれたかった女。男女平等という建前と男女平等でない現状の狭間で、彼も私も苦しんでいた。それでも、性別に紐づけて与えられた役割を易々と受け入れることはせず、かといって放棄することもせず、微妙なバランスの中で、私たちは自分の働き方を模索していた。
大学3年生になり、私はキャリアを追求する道を選んだ。