私は高校2年生の時に車に轢かれました。
当時、4月30日で小雨が降っていて、帰ろうとして自転車を漕いでました。
その時、公園の脇の道から車が出てきて、轢かれてしまいました。
幸い、身体の怪我は2週間程度の怪我でしたが……心の怪我の方はなかなか治らなくて厄介でした。
運転手の証言により警察の態度も変わり、17歳の私は大人不信に
事情聴取の時に運転手が、
「彼女が私の車にわざとぶつかってきた!」
と、話したので警察の態度も変わり、
「わざと、ぶつかったの?」
という感じになってしまい、17歳の私は人間不信というか、大人不信になりました。
そこから、「大人が話してることは本当なのかな?」と、疑うようになりました。
口ではこう話してるけど、「本当は私と接するのが嫌なんじゃないかな?」とか、あれこれ不安やモヤモヤを常に抱えている状態でした。
それは、私が高校を卒業しても成人しても、ずーっと続きました。
それだけ、未来の自分に希望や楽しみがなくて、仕事を始めても人間不信や大人不信が強すぎて自分の本音を全く出せずに、すぐに仕事を辞めてしまう、という悪循環は続きました。
なので、あの頃は自分自身が悪いのではなく、全て周りの大人が悪いと勝手に思い込んでました。
ですが、私もいろんな人と出会い、現在、25歳になってから感じることとしては、あの頃の自分があるから今の自分があるのですが、とにかく人を疑い過ぎだったと、反省もしています。
少しだけでも、大人に対して心を開けていたら、素直に話を聞いていたら、また今の私は違ったかもしれませんし、周りの大人がみんな心配してくれていたのに気づかず過ごしてたので、感謝することが私はできませんでした。
私は子供の頃から実は最近まで「ありがとう」という感謝を人に対してできなくて、やってもらって当たり前だと、思ってました。
大人とは?と考える視点は日々変わり、最近は精神面を見ている
そんな私があの頃、ずっと大人というか他人を疑ってたのは自分に自信がなく、常に被害者意識があったからだと思います。
なので、もしあの頃の自分に会えることができるなら、
「あなたはたくさんの周りの大人に心配されてるよ」
と伝えたいです。
ですが、たぶん。その頃の私には通じなくて疑われるかもしれません。
しかし、今の自分がいるのは全く大人を信じてなくて、反面教師で生きようとしていた過去の私がいるからだと思います。
では、今の私は大人なのか?
というと、そんなこともなくて、まだまだ大人になりきれてない所がたくさんあるなと思ってます。
少しずつ自分が成長している実感はありますが、大人になるって何だろうな?と思うこともたくさんあります。
でも、その答えというのはみんな違うので、不正解はなくて、年齢と経験を重ねて、少しづつ大人になっていくことかと思ってます。
子供から見た大人と、大人から見た大人というのもあるかと思います。
子供の頃、例えば小学生位のときは大人というだけで凄いな〜とか、仕事してるんだろうな〜とか思ってましたが、大人になってからの大人は、精神面を見ている感じがします。
例えば、あの人はとてもしっかりしてるな〜とか、あの人のここを直せば良くなるのにとか、考えることがあります。
「大人とは?」。考えはみんな違うから、私なりの考えで進みたい
あと、よくあるのがこの人のここが凄いな〜と思うことは、実は自分が持ってることや、この人のここは直せば良くなるのにと思うことも、私自身の性格が入ってるな!ということに気づきました。
いわゆる自分自身を客観視というか、私はどういう人になりたいんだろうとか、自分の目標は何だろうか?とか、考えるようになりました。
考え事がポジティブになってきたのも大人になってきた証拠かな?と思います。
元々は自己肯定感が低く、私なんてとネガティブに考えることが多かったのですが、それもネガティブに考えても仕方ないからポジティブに考えようとか、考えるのを辞めようとか、気持ちを切り替えのもできるようになりました。
大人になるということは、みんな考えは違うと思います。
私は私なりの考えで進んでいきたいと、思っています。