人は誰しも多かれ少なかれ、傷ついた過去やトラウマを背負って生きているのだと思う。
私は昨年末、やっと自分自身のトラウマと向き合う覚悟ができた。

忘れたくても忘れられない傷。気づけば10年が過ぎていた

気づけば傷を負った日から10年弱が経過していた。今年の2月でちょうど10年、めでたくもない記念日に、私は今年も当時のことを思い出すのだと思う。思い出したくもないのに思い出す、鮮明に蘇ってくる記憶を封じ込めることはできないのだろうか。
私は何度も何度も泣きながら「忘れたい」と願った。しかし、不思議なことに忘れたいと願えば願うほどにその思いは遠のくのだ。
それならいっそ諦めた方が早い。10年という時間をかけて、遠回りをしてやっと辿りついた私の答えだ。

私はおそらく少しだけ生きにくい性格をしている。
メンタルは弱いし、落ち込むとすぐにマイナス思考になってしまう。それが自分の特性であると受け入れられるようになったのは最近のことだ。
20年付き合ってきた心と身体なので、心身の不調もある程度は自分でコントロールできるようになった。でも、トラウマが絡む時だけは話が違う。一人ではどうしようもできない時がある。

恩師からのひとことは、自分では与えることができなかった「許し」だった

昨年末、久しぶりにどうしようもなくメンタルが弱ってしまった。幸いなことに、誰かに頼ることが苦手な私にも唯一手を伸ばせる相手がいる。中学時代にお世話になった恩師だ。
私の性格をよく知る恩師からただ一言、「もう忘れていい、自由に生きていいんだよ」と言葉をかけられた。
その言葉にハッとさせられたのはきっと、私が何よりも欲しくてたまらないのに自分では与えることができなかった「許し」だったからだ。
私は多分、自分自身を許すことができていなかったのだと思う。過去の自分を許せなかったからこそ、忘れたいと願いながらトラウマで自分自身のことを縛り続けてきた。

忘れたいと願った過去を、人に話すことを恐れていた過去を、私は人に話すことに決めた。
縛り続けてきた過去を人に話すようになってからというもの、当時の記憶に苦しめられる機会が驚くほど減った。忘れようと願っても叶わなかった日々が嘘みたいだった。
それだけではなく、あの頃は気づけなかった優しさに10年越しに気づくことも出来た。
味方なんていないのだと膝を抱えて泣いていた私に伝えてあげたい。当時から、私の周りには味方も信じていてくれた人も、必死に守ろうとしてくれた人もいたよ。

完全に忘れることはできないけど、立ち止まらずに進むことにした

とはいえ完全に忘れることは不可能だし、また思い出すだろう。でももう昔のような嫌悪感に縛られることは少なくなるのだと思う、そう信じたい。
私の中でトラウマはトラウマではなく過去の記憶へと変化した。私はずっと立ち止まっていたのだと思う。でも、止まるのも進むのも自分自身なのだ。それなら、少しずつでもいいから進みたいと思った。だから私は自由に生きてみることにした。過去と向き合いながら私は今を生きる。そしていつかはこの出来事を昇華できるように。

あの時、まだ幼かった私を救うためにも自由に生きる。10代の10年間は長かったなぁと振り返りながら、自由に生きる20代を描く。
私はもう過去に縛られない。私らしく自由に生きることが2022年の私の宣言だ。