数えると残り2回となった通学電車。
高校生の時から合わせて、今までで何回通学電車に乗ったのだろう。
単語テストのために必死に単語帳をぶつぶつ言いながら開いていた日も、少し奮発して買った有線のイヤホンでback numberのクリスマスソングをひとりで聴いていたクリスマスも、ただ端に座って寝ているだけの日も、いつも電車に乗っていた。
でももうそんな日々はやってこない。
高校から大学まで当たり前だった、電車に乗る毎日はもうやってこない
つまらなかった授業の話で盛り上がっていたら、隣にその先生がいる、だなんて冷や汗をたくさんかくような出来事も。
1時間目が体育の日に限って遅延することも、赤シートを座席の下に滑らせてしまうことも、制服のスカートがドアに挟まれてしまうことも。
部活のために高校へ通っていた日々も、合格だけを目指して予備校へ通っていた日々も、飲み会をするために大学の先輩の家に向かっていた日々も。
きっともうやってこない。
友だちと将来について語り合った時間も同じ画面で映画をみた時間も、きっとやってこない。目の前しか見えていなかった自分は、少しずつ広い世界を知って、高校生の時のようなひとつのことに真っ直ぐ一生懸命にそれだけを考える、なんてことが少しずつできなくなってしまった。
最近は就活、卒論、インターンに追われ、そのことばかり考え、電車でパソコンを開くようなこともあった。気がついたら移動の電車の中なのに忙しく過ごしていた。
忙しくない日は都会に雪が降った景色を電車から見ることなんて忘れ、日本のどこかで友だちが遊んでいる動画をSNSで見ていた。
7年間見てきた景色は、社会人になることで違う景色に見えるかも
もしかしたら大人に近づいているのかもしれない。
でもいつからが「大人」なのかは分からない。
ただ、小さな、いや、大きな、違いにぶつかる日がもう少しでやってきそうな気がしている。
私が7年間乗ってきた通学電車は、もうすぐ通勤電車に変わる。
もしかしたらこれが「大人」への一歩なのかもしれない。社会の現実を見て、責任がうまれ、なにかに葛藤するんだろう。電車から見える外の住宅街も、ただきれいだと思っていた夕陽も、薄暗い明け方に日が登る景色も。もしかしたら、春からは違う景色に見えてしまうのかもしれない。
どうでもいい時間を過ごせない電車に乗るのは大人になる証拠
正直大人になりたい、とは思っていない。
電車で見る、自分が大人だと思っている人たちはなんだか大変そうだ。
呑気に外の景色を見ている自分とは違って、スマートフォンを見て何かしている。
それが仕事の連絡なのか、ゲームなのか、プライベートな連絡なのかは分からないが、どうでもいい時間を過ごしている人はいないと思う。
なにかが忙しくてぼーっと考え事をしたり、何も考えていなかったり、そんな時間を過ごさなくなってしまうのかもしれない。過ごすことが難しいのかもしれない。
いつかふと外の景色を見て、最近見ていなかったと思ったときには、もしかしたらもう自分は大人になっているのだろう。