駅のホーム。母親に感情を吐き出したメッセージを送った

駅のホームに行くたび、黄色い線の外側に行く妄想をしていた。

2020年7月、わたしはこれ以上ないほど鬱だった。週に3回アルバイト先へ行くのに電車を使うたび、「いま決断すれば、30分後には労働なんてしなくていいのにな」と思ったりしていた。
あるいは学業、労働、一人暮らしのアパート諸々のすべてから逃げるか。極端な二択に直面し、わたしは母親にメッセージを送っていた。「バイトも辞めたいし、大学も行きたくなくなっちゃった」というようなことを、感情のままに乱れ打ちしてそのまま送った。生きる意味がわからなくなった、とかそういうことも書いたような気がする。

母親からは割とすぐに返事が来た。が、メッセージの内容は確認せずに、そのとき何故か吉祥寺にいたのだが、まだ一人暮らしをしている部屋には帰れないなと思って、駅前の映画館に飛び込んだ。
作品は「風の谷のナウシカ」。携帯電話の電源を切って、客のまばらな劇場で息を潜めた。母親がメッセージに何を書いたのか、それを見るのが怖かった。

泣きポイントでもなんでもないシーンなのに、涙が止まらなかった

子どものころから誰かに頼るのが苦手だった。というか、ちゃんとできたことなかったかもしれない。
学校で困ったことが起きても誰にも言わず、とりあえず夜ひとりで泣いてみていたし、通常おともだちと協力して取り掛かる工作も独力で制作するような子どもだった。
単独主義というより孤独主義、頼るのも甘えるのもド下手クソ。学校で他人の頼り方を教わらなかったから、やり方がよくわからなかったし、それは相手にとって迷惑行為でしかないと確信していた。
学校で習ったことなら全部できたのにね。逆上がりはできないけど。

ナウシカは子どもの頃に何回も観たから、作品に感動しているフリをしながらいままでの自分のことを考えて泣くのに適していた。どこで泣きポイントが来るか明確に把握していたのだ。
とはいえ破綻した精神状態で、ついに母親を心配させてしまったとか、金出させてるのに大学行きたくないなんて言ったから怒られるだろうなとか考えていたから、全然泣きポイントでもなんでもない、チコの実を食べるシーンで泣いていた。作中数少ない笑える会話なのに。
鼻水がしこたま出ていたけどティッシュを持っていなかったので啜るしかなくて、でもあんまり音を立てると他の人に迷惑だし、もう全てに対してどうしたらいいのか分からない、とか考えていた。

母はただ私の話に耳を傾けてくれた。動揺も呆れも見せずに

翌日、母親と最寄駅で待ち合わせをした。母は朝から新幹線に乗り、勝手に生死をさまよっている私に会いに来たのだ。仕事を休んだらしい。
駅ビルのレストランでパフェを食べた。食べながら、母はかなりフランクな感じに「どうする?」と切り出した。

母はとても落ち着いていた。普段連絡を寄越さない娘が急にフルスロットルで弱音を吐いて、その後数時間返事がなかったのだから動揺はしたと思う。最悪の事態を考えて警察に連絡するか迷ったかもしれない。しかし母はそんな素振りなど全く見せず、落ち着いていた。
具体案の思いつかないわたしに苛立ちもせず、大学に行きたいと言って今度は辞めたいと言い出すわたしに呆れも見せず、彼女はわたしのイメージのなかの「普段通りの母」だった。

高円寺に移動して、雑貨屋を見た。それから喫茶店に入って、またお茶をした。
文学の鬼と恐れられた先生のクラスで一番いい成績を取ったこと、最近よかった映画や音楽の話、どこからが浮気かという議論など、普通の母娘の会話をした。
母は「お父さんのことは愛してるけど、他に好きな人はずっといるよ。相手に気持ちを伝えたり、行動には移さないよ、好きだなって勝手に思ってるだけね」と、聞いてもいない自分語りをしたりしていた。
ニンゲンは一方がプライベートな悩みを打ち明けると、相手もそれに呼応して秘密を共有してくれるという習性があるようだ。興味深い。

すべてを放棄した私は、これまでの自分から脱皮するのだ

結局アルバイトを辞めて、大学も休学し、実家に帰ることになった。未来志向を放棄し、すべてから逃げる選択をしたのだ。
ひとりなら間違えていたかもしれない二択を、母が一緒に選んでくれた。
それからわたしは他人に相談したり頼ったりという行動を、ニンゲンの練習として意図的に取った。ver.1.0からver.2.0へと脱皮するのだ。

黄色い線の内側から出そうになるときは、母のメッセージにあった「必ず助けに行くから待っててね」という一文を思い出す。そして母は実際に来たのだ。
弱いわたしを見せても受け入れ、一緒に考えてくれる生命体が少なくともひとり確認できているということを、忘れないように思い出す。